〈くらしの周辺〉「在日の孤独」/韓哲秀
2017年03月06日 10:43 コラム父の仕事の関係で山形に引っ越し、小2の1年間は山形市立鈴川小学校に通った。大阪に帰って来たあと小3の1年間は西生野小学校に通った。日本の学校に通った2年間はとても貴重な時間だった。いうまでもなく生野区は在日朝鮮人の集住地である。本名で学校に通う僕に「俺も韓国人や」とこっそり言いに来る級友が何人かいた。言いには来ないけど「あいつも韓国人や」という噂はどことなく伝わって来て、お互い知ってはいるみたいな関係もあった。朝鮮学校に通う子どもたちに比べたら皆どこかに屈託な顔をしていたと今になって分かる。「うちの家な、オッチョンジ~♪って歌がよく流れてるねん。韓くん聴いたことある?」。昔流行った『黄色いシャツ』という歌のことだ。わが家でもよく流れていたので知ってはいたが、思うにそれは新井さんという女の子のカミングアウトだったに違いない。残念なことに自分がどう反応したのか思い出せない。社会人になり日本の企業に勤め始めたあとも「私もハンさんと同じなんです」と話してくる人に何人か出会って来た。これは現在進行形の話である。ぼくはその度に「そうですか。一杯行きましょか」と答えている。通名しか名乗ったことがなく、自分と同じ境遇の人間がどこにいるのかよく分からない。そんな「在日の孤独」ともいうべき状況は、今も間違いなく残っているのだ。本名で仕事をする「私」が、その孤独の殻を破るささやかなきっかけになればと願う。(東京都在住)