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〈朝鮮大学校と教育研究連携のこれから〉/中野敏男

2016年11月22日 16:12 文化・歴史 主要ニュース

近頃は世界と日本の惨憺たる政治・思想状況に苦々しい思いばかり抱いていたわたしだったが、朝鮮大学校創立60周年の祝賀の集まりに参席し、そんな状況にずっと抗しつつ歩んできたこの大学の歴史にあらためて感銘を受けて、これからの教育研究の連携について考えさせられている。

 教育面での交流から文化運動シンポs (500x350)

わたしが勤めていた東京外国語大学は、もちろん朝鮮語専攻の教育課程を備えた大学なのだけれど、これまでは朝鮮学校や朝鮮大学校とさほど多くの接点があったわけではなかったと思う。朝鮮語初級クラスから始める教育課程は、朝鮮語既習である朝鮮学校出身者のニーズには適合していないし、語学教育がベースでは研究面でも関係を広げにくかったことがあるだろう。そんな状況をだいぶ変えるきっかけとなったのは、二〇〇八年に東京外大で開催したあるシンポジウムである。

それは「文化運動の/との出会い 民衆、抵抗、創造」と題されたもので、各地で演劇や歌唱を通じて民衆の抵抗を表現する活動を続けている集団や個人を招待し、その経験の共有を図り議論を交わす機会にしようという企画である。これに、沖縄で長年にわたり民衆演劇の活動を続けてきた劇団「創造」のメンバーや「民衆歌謡」を通じて韓国でも交流のあるグループとともに朝鮮大学校演劇部を招待し、演劇「約束」の公演が実現したのである。この公演は、東京外大に毎年の学園祭で各国語による演劇(語劇)を実施してきたノウハウがあって、日本人も韓国人留学生も多くいる場での「日本語字幕付き朝鮮語公演」として実現し、それがそれぞれに感動を呼んで大いに盛り上がった。これが、文化運動という活動の趣旨にも合致する感銘深い出会いとなったのである。

そしてその頃から、わたしの学部や大学院のゼミにも朝大関係者や朝高・朝大出身者が多く参加してくれるようになり、そこには韓国人留学生や中国朝鮮族の学生や日本学校出身の在日韓国人などもいるので、さながらそれは、多様な生活経験をもつ朝鮮民族の、そして日本人の出会いの場ともなっていった。ここでは、「日本人」と当の本人も思い込んでいた学生が、ゼミでの議論をきっかけに自分のルーツを意識し、初めて調べて「朝鮮ルーツ」であることを「発見」して、その家族史を卒論に書くということまで起こっている。それは、ルーツを「調べる」ところから周囲に葛藤を呼び、ご家族の反対もそれなりにあって本人も色々悩んだが、それでも「書く」ことで本人自身が随分成長を遂げたと思う。それに寄り添ったわたしにとっても、これは心にしみる経験となった。

さまざまに異なった経緯を含む各地の朝鮮民族の歴史が交錯するそうした議論は、問題を多様に照らして本当に興味深い。それは日本の植民地主義がもたらした民族離散の歴史の一帰結でもあるから、わたしはわたしでその植民地主義の継続という視点から議論を重く受け止めざるを得ないことになる。そして、わたしのゼミでこのように興味深く議論が展開するのも、そこに朝鮮学校・朝鮮大学校の教育からの視線が入り、そこからの意見が論議に筋を通すからだろうと感じていた。

 

 研究面での連携へ

そのことは研究面においてもおそらく同様だろう。わたしは昨年と今年の夏に中国朝鮮族自治州である延辺を訪問し、かの地の朝鮮族研究者と議論する機会を得た。そこで驚かされたのは、地道なフィールドワークと史料調査の蓄積の上に進んでいる朝鮮族研究のずっしりとした重量感である。とりわけ、中国と韓国の国交が開かれて以降の前進がめざましく、三・一三抗日闘争という地元でも忘れられていた事実の再発見もあり、その顕彰も進んでいて、連携した研究の大きな力を感じた。そこから改めて顧みると、朝鮮大学校で連続してシンポジウムを開催し進められている世界の朝鮮民族の経験を交流させるプロジェクトの意義は大きく、その将来に期待はいよいよ膨らむ。

わたしは二〇〇〇年代の初めにアメリカのコーネル大学に一年半ほど滞在したが、その時に目の当たりにしたのは、スピヴァク、チャクラバルティ、リサ・ロウなど、第三世界出身の知識人たちの絶大な問題喚起力だった。「ポストコロニアル理論」と言うと日本ではあまり評判が良くないが、それは、ファノン、デリダ、サイードなどに続き、植民地主義に抗して欧米の支配的な歴史認識と近代知そのものを問いに曝す地殻変動的とも言える知の革新作業なのであった。当時はそれに、みんなが固唾を飲んで耳を傾けていた。その経験を想起すると、この次にそんな知の変革を前に進めるのは、いま連携の実を挙げ始めている世界の朝鮮系知識人たちだろうと、わたしは確かに感じる。朝鮮大学校は、その一大拠点となるのではないか。

最近学生たちとよく話すのだが、そこで必要なのは協働の議論のために社会理論を広く学んで分断の政治を超えることだろう。この基礎作業を共に進めながら、そんな時代の到来に備えたい。(東京外国語大学名誉教授)

 

 

 

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