〈奪われた朝鮮文化財・なぜ日本に 33〉古墳の乱掘に関わった総督府の御用学者たち
2016年10月24日 09:49 文化・歴史朝鮮文化の「学術的解明」に「寄与」と嘯(うそぶ)く
朝鮮総督府が植民地支配の全期間に行った「古蹟調査事業」は、古蹟の保存と学術調査の大義名分を立てての文化財の略奪と破壊そのものだった。
当時の東京帝国大学や京都帝国大学に所属した考古学者らは、朝鮮総督府の嘱託指名に応じ、考古学的調査に大きく「貢献」した。
「最も誇るべき記念碑」と豪語
東京帝大の関野貞をはじめ、京都帝大の浜田耕作、今西龍、藤田亮策、梅原末治、黒板勝美、原田淑人、谷井済一、小泉顕夫など、日本考古学界の重鎮もしくは新進気鋭の学者らが総力を挙げて「調査」に取り組み1916年(大正5年)から34年(昭和9年)にかけての調査記録を「古蹟調査報告書」にまとめ、朝鮮総督府に提出した。また重要な発掘調査に対しては、別途に「古蹟調査特別報告書」を作成した。
これら日本人学者らは、自分が参与した「古蹟調査事業」が、朝鮮総督府が行った「輝かしい文化事業」と讃えてはばからない。その一人の藤田亮策は「朝鮮学論考」という著書で「少なくとも朝鮮の古蹟調査事業こそは、半島に遺した日本人の最も誇るべき記念碑の一つであると断言してはばからないのである」と自負してみせ、その推進者としての初代朝鮮総督の寺内正毅の「達見と断行に敬意を表する」と述べた。
これは藤田に限らず他の学者も同様で、梅原末治も「朝鮮古代の文化」と題した著書で古蹟調査事業が「(日本の)勢力圏内における恒久性を持った文化面の一つの事業」であり、「それは単に半島古代文物の状態を開明する上で役立ったばかりでなく、広く東亜古代文化の研究に寄与するもの」と持ち上げた。
かつて平壌府立博物館館長だった小泉顕夫に至っては、称賛したばかりでなく「今まで放置されていたものを総督府の手で発掘したもの」であり、「地主の補償もきちんとしていて」問題なく、「私自身、韓国に奉仕したという自負を今も失っていません」と居直ってもいる。総督府の御用学者として精力的に古墳の乱掘と遺物の取出しにかかわった彼らの本心は、故李弘稙高麗大学教授が「在日韓国文化財備忘録」で厳しく論断したように「あくまでも日本の考古学界の研究意欲を充足させるため」であり、「朝鮮民衆を啓発するための文化事業とは無縁なもの」だった。
言うまでもなく、朝鮮総督府が行った「古蹟調査事業」は、日帝の植民地支配の政策と密接に繋がった事業であり、目的は李教授が指摘しているように「韓国を独占的に支配するために、韓国の各分野を綿密に知り、より緻密に支配を強化する目的で歴史的、文化的遺産を調査しようとするもの」であった。
日本人学者らは総督府の真の目的を十分に承知しながら、いかにも朝鮮文化の「学術的解明」に「寄与」するような姿勢を装った。
本誌で朝鮮総督府の「古蹟調査事業」の推移についてはすでに著述しているが、これに深くかかわった日本人学者らが、自分が行った「古墳発掘調査」に関する回顧談を見れば、朝鮮文化財に対する彼らの意識が、どんなものだったかがわかる。またそれは朝鮮総督府の「文化事業」の本質をも物語ってくれる。
小泉顕夫は朝鮮での発掘調査を回顧して、86年2月に「朝鮮古代遺蹟の遍歴」を書いた。小泉は「朝鮮古蹟調査委員会」を主宰した黒板勝美の推薦により、調査員の一人に加えられ、22年2月から45年の敗戦直前まで自分がかかわった朝鮮全土の古墳調査をエピソードを交えながら著述した。
小泉は著書で新羅、百済、高句麗時代の古墳の構造や遺物の時代考証について、あれこれと言及しているが、自分が朝鮮民族の貴重な文化遺産である古墳に手を着けることに対し、なんら罪の意識がなかったことを端的に示す例は、慶州の「端鳳塚」と名付けられた古墳発掘に見られる。
「端鳳塚」と命名された慶州路西区域の最大の積石塚は、26年に発見された。この古墳からは、先に発見された「金鈴塚」と同じく新羅時代の金属工芸文化の精髄を語る宝冠や金銀の腕輪、帯飾りなどの副葬品が続々と発掘され、小泉ら日本人発掘者を興奮させた。
ところが、浜田耕作から訪日中のスウェーデンのグスタフ・アドルフ皇太子夫妻が「発掘中の新羅古墳をぜひ見たいので、ご期待にそうよう努力せよ」との連絡が小泉にきた。
小泉はその連絡を受け「出土遺物は現状のままで放置し、一つの古墳の木廓内の副葬品の配置や木棺内の装身具を着装の状態で一望出来るように工夫して、殿下の台覧に供するよう」考案した。こうして小泉は「夜は安眠できず、ひたすら殿下のご来訪を待ちわびていた。」という。
「ひたすら待ちわびた」グスタフ夫妻が、発掘現場に姿を見せた時、小泉は得意絶頂の有様だった。小泉は次のように自分の心くばりを自慢気に書いている。
「私は新しい発掘ナイフをお渡しして、〝帯金具の左脇から腰佩、垂下飾り二本の埋没する個所だけは、殿下自ら発掘調査されるために残してあるので、どうかご自由にお調べ下さい〟と申し上げたところ、予期しない申し出に飛び上がらんばかりにお喜びの殿下は直ちに上着を脱いで発掘を開始された」
また棺内にある宝冠を一緒に取り出すといったサービス精神も発揮し、「千数百年の地下の深い眠りから覚めた宝冠は、いま北欧のクラウン、プリンスの手によって再び陽光に輝いたのである。妃殿下はじめ周囲の人々の歓声と拍手が一斉に沸き起こった」と感涙にむせんばかりの感傷的な文章も残している。
ここには数千年の間、先祖の墓に決して手を着けなかった朝鮮人の忿懣やるかたない心情に対する気配りもなく、遺物がもともと、日本の所有物であるかのような傲慢さが露骨に表れている。あきれたことに、当時の朝鮮総督斉藤実の妻は、グスタフの古墳発掘見学を記念するため、グスタフ夫人に純金製の耳飾りの副葬品をプレゼントしたという。朝鮮総督の妻といえども一私人にすぎない者が、朝鮮人共有の民族遺産を個人的な贈りもの扱いにしたことから見ても、日帝が口をきわめて主張する文化財の「保護」と称する実態がどんなものか暴露されている。
支配民族の傲慢さで一貫
小泉の先輩格の浜田耕作は、18年度から古蹟調査に加わり、慶尚道一帯の新羅古墳の発掘に従事した。浜田は京都帝大の考古学講座の中心人物で、37年には京都大学総長に就任している。
この浜田も「考古学」雑誌(7巻6号)に「朝鮮考古学調査に関する私の最初の思い出」という回顧談を残している。慶尚北道の星州や高霊、南道の昌寧の古墳調査当時の見聞を旅行記のように、たわいもなく綴った雑文であるが、その内容は一貫して支配民族の傲慢さがもれてくる内容である。たとえば星山洞の古墳を発掘して、金製の耳飾りや銀製の副葬品を発見したことを自慢気に紹介した後、次のように述べている。
「丁度、郡守の朴海齢君が発掘を見にこられて〝墓を掘ることは良い事ではないが、こんなに早く石室に掘り当てたのは感心だ〟という名言を吐かれたのはこの時である」
浜田にとって、墓を掘ることに対する郡守の控えめな非難の声はどうでもよく、早く掘り当てたことが名言に聞こえたのであろう。
この「名言」に鼓舞されたものか「私はこの古墳の発掘を中止せずに、いかなる困難に会してもやり遂げなければならぬと決心して〝イルワー(こちらにこいとの朝鮮語の発音)と人夫を集めて発掘を継続した」となんの反省もなく文を継いでいる。
さらに古墳調査に対する浜田の見解をよく知ることが出来るのは「民族と歴史」に掲載した「朝鮮の古蹟調査」という一文である。
浜田は「日鮮合併以来の総督政治」について、「その得失功罪交錯するうちにあって、少なくとも我輩はその功績の一つとして古蹟調査の事業を称揚するに躊躇しない」と断言し、その調査は「朝鮮の統治を引き受けた日本が、当然果たすべく、負わされた文明国の義務の一つ」と力説している。また破廉恥にも次のようなことも言っている。
「この義務の遂行を怠らなかった我国は、朝鮮が将来自治し、或いは独立し、或いは万一他国の領土と化するような日があっても、文明国としての責務を果たしたことに向かって、日本は世界の人類から、また朝鮮の民人から永遠の感謝を払われるであろう」
自画自賛にも余りがある言い様であり、学者の言葉というよりも侵略的な植民地主義者の妄言と言わざるを得ない。
31年に総督府の外郭団体と称して結成された「朝鮮古蹟研究会」の主宰者の黒板勝美東京帝大教授の場合は、「大同江付近の史蹟」と題した講演記録で馬鹿げた珍説としか言い様のない話を披露している。
黒板は2回目の朝鮮訪問で、大同江付近の古蹟を探訪したらしく、それについてあれこれと講演した。その中の余談として、自分が朝鮮服を着て旅行したことに対し、新聞が取り上げたことにつき、次のように屁理屈をこねくり回している。
「私は別に奇を好んでやったことではないのである。と申しますのは朝鮮の有様を研究し、そして自分の心に入れるには、出来るだけ朝鮮式で歩いた方がよくはあるまいか、一つ朝鮮人になったつもりで見て歩きたい」
こう言っておきながらあとでは「現在の朝鮮を見るには我々は日本服を着て、日本人の威信を以ってした方がよいかも知れないが」と醜悪な本音を吐いている。
黒板は朝鮮の源流が、平壌周辺に有ると得々と語り、すべて中国の傍流であると決めつけている。朝鮮服を着ていかにも朝鮮人らしく振舞おうが、日帝に奉仕する御用学者の目には朝鮮の真の姿は決して見えない。
(南永昌 文化財研究者)
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