〈東日本大震災から5年〉“マイナスな部分より、幸せを糧に”/広がりつながる支援、福島のいま
2016年03月11日 09:00 主要ニュース甚大な震災被害、そして福島第一原発事故による2次被害に見舞われた福島。5年が経ち、県外に避難した同胞たちが徐々に地域に戻ったことによって、現在の同胞数は震災前とほぼ同数となった。その間、福島初中では県が県内の小中学校を対象に実施した放射線量低減補修作業における表土除去作業や、県内外の同胞たちによる除染作業が行われ、校舎内の放射線量数値は郡山市の中でも比較的低い0.08~0.06マイクロシーベルトとなっている。現在、児童・生徒数は17人。震災後は2011年5月15日から新潟初中で約7ヵ月間の合同生活を送ったが、今は震災前と同じサイクルで学校生活を送っている。
一つでも多くを
朝8時40分。2台の学校バスに揺られ、生徒たちが登校する。校内には、この5年間各地の同胞、日本市民、そして南の市民たちからの応援のメッセージがつづられた色紙が所せましと並べられ、2階へ上る階段にはセッピョル学園で出会った茨城、栃木、群馬、新潟、東北の生徒たちと交換した「セッピョルFAX」が貼られていた。
同校の金政洙校長(64)は震災当時を振り返りこう語る。「原発事故が起こったとき、各地の学校から、次々と生徒たちをウリハッキョに避難させないかと提案があった。全国に広がる民族教育のコミュニティーを実感した瞬間だった」。その支援の輪はさらに広く長く続いている。「全国の朝鮮歌舞団や、毎年チャリティー公演を行う『民楽』、『福島朝鮮学校を支援する会』や3年前から生徒たちを呼んでくれる『宝塚保養キャンプ』の方々。また個人単位でも、顔も知らない日本の方から電話や手紙、支援の贈り物が届いたりと数えきれないくらいの人々が関心をもってウリハッキョを支えてくれた」。だからこそ「依然として放射線の不安はあり、また、同胞たちの経済状況も厳しい中で、ウリハッキョをどう存続させていくか。立ちどまることなく、生徒たちに一つでも多くのことを体験させ、学ばせてあげたいという気持ちだ」と語る。