〈“歴史歪曲”の現場から〉福岡県飯塚市・無窮花堂
2015年11月16日 14:10 主要ニュース 歴史1世の受難、無窮花に刻む
無窮花堂をめぐる経過/「強制連行」問題視
2000年12月に、福岡県飯塚市庄司笠置ダム公園飯塚霊園内の国際交流広場に建立された朝鮮人納骨堂「無窮花堂」。1995年、故・裵来善さんの呼びかけから、筑豊における強制連行犠牲者納骨式追悼碑の建立運動が始まった。完成までの5年間、裵さんを代表にした「在日筑豊コリア強制連行犠牲者納骨式追悼碑建立実行委員会」は飯塚市当局と数十回にわたり協議を重ねた。結果、市は98年8月に①強制連行の事実を認め②歴史的事実を後世に残すことを認識し③国際交流・親善の一助になってほしいと市霊園地の一角を無償で貸し付けることを正式に回答、14日には共同記者会見の場で市有地貸付の覚書を実行委員会と交わした。建設費約3000万円はほぼ募金で賄われた。第2期工事として、2002年11月に無窮花堂のまわりに、朝・日の歴史を示す17枚のパネルによる歴史回廊が設置された。2014年5月20日に産経新聞で「飯塚市営霊園の敷地内『朝鮮人追悼碑』で『強制連行』などと避難」と報道されたのを機に、6月25日の市議会で無窮花堂に関する質疑が行われた。また「日本の植民地政策により、数多くの朝鮮人と外国人が日本各地に強制連行されました。ここ筑豊には15万人にも上る朝鮮人が炭鉱でヶ国な労働を強いられ、多くの人びとが犠牲となりました…」などの碑文に対して抗議が寄せられ、2015年9月8日には日本最大の右派組織「日本会議」福岡常任理事を含む地元住民らから、斉藤守史市長と鯉川信二市議会議長に対し、碑文の見直しに向け、「NPO法人無窮花の会」と協議するよう求める陳情書が提出された。
揺るぎない日朝友好の絆
「筑豊に無窮花が咲いた」――。2000年12月、福岡県にある飯塚霊園内の国際交流広場に朝鮮人納骨堂「無窮花堂」が設立された。小さな枝から根を下ろし、その花は毎朝咲きかわり、初夏から秋にかけて咲き続けるという無窮花。尽きることなく咲き誇るその不屈の姿は、日帝の植民地下で主権を奪われた朝鮮民族の自主独立の旗印であった。