朝鮮新報70周年祝賀宴/アーティストたちの思い出
2015年11月10日 11:34 主要ニュース励まされ、学んだ日々

創刊70周年祝賀宴の一場面
祝賀宴に華を添えたアーティストたちも朝鮮新報との出会いや思い出について語ってくれた。歌手の全明華さんは、祖父が総聯福岡・八幡支部で新報の配達を担当していた。そのため新報は「とても身近な存在だった」と言う。金剛山歌劇団入団後は、紙面を通して公演先での反響を確認する。さらに、「舞台に立つ上で貴重な学習材料なる」のだとも。「朝鮮新報にはそこでしか得られない情報が詰まっている。私にとって新報は、祖国や同胞を身近に感じさせてくれる大切なものだ」と話した。
長野出身の舞踊家である崔成樹さんは、中級部卒業後から親元を離れて生活している。愛知朝高の寄宿舎で3年、東京にある金剛山歌劇団で15年。
「オモニは歌劇団の記事が出るたびに欠かさず切り抜いて保管している。新報に掲載された写真をパネルにして家に飾っているのを見ると、歌劇団での活躍をオモニも喜んでくれているんだと実感する」
田舎育ちなだけに、新報ではとくに地方の便りに関心を寄せてきた。「厳しい状況の中でも手を取り合い、同胞社会を盛り上げていきたい。みんなに元気になってもらえる、そんな踊りを届けたい」と話した。
高音チョッテ奏者の李淑任さんは、歌劇団の公演に遠くから足を運んでくれる観客への感謝の気持ちでいっぱいだ。「新報を見ていつも応援しているという声を聞く。親戚でもないのに、新報やイオの記事をファイリングして、寝室に写真まで飾ってくれているという話を聞くたびに嬉しくなる」。スランプに陥った時も記事を見せながら励ましてくれた人がいたことも。
チャンセナプ奏者の崔栄徳さんは、幼い頃、朝鮮文字をはじめて見たのが新報だったと話す。そして「意外だと思われるかもしれないけど、初2のときコッソンイ作文コンクールで1等に選ばれた」とも打ち明けた。新報に自分の名前が載ったこと、副賞として金色の置き時計をもらったことが記憶に鮮やかだ。「そのとき、頑張れば新報に名前が出るんだと思った。初4から民族楽器を初めて、芸術コンクールに出場するたびに名前が載り、卒業後も公演のたびに記事が載る。はじめて新報に名前が載ったとき、両親がすごく喜んでくれたのを憶えている。同胞たちにとって新報で取り上げられるのが大きな喜びだとその時知った」と話した。(取材班)
- カヤグム独奏「砦の春」(金栄実)
- 高音チョッテ独奏「流光」(李淑任)
- 女声独唱「花のうた」(全明華)
- チャンセナプ独奏「歓喜の歌」(崔栄徳) *功勲俳優