〈特集・ウリハッキョの今〉東京第6初級/インタビュー・卞允植さん


二度と奪われてはいけない財産

解放直後、1世たちは子どもたちが故郷に帰っても困らないようにという思いで国語講習所を建てたが、講習所といってもただの寺小屋。実はそこは私の自宅だった。国語(朝鮮語)、算数などを勉強したが、なんせ家っていう家じゃなかった。私が生まれ育った東馬込の家の辺りは馬込の中でも最も海抜が低く、雨が降ったらすぐ洪水になってしまうようなところ。日本人が住みづらいところに朝鮮人が身を寄せて住んでいたんだ。

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