〈それぞれの四季〉9.9節を迎えて/韓梨恵
2014年11月10日 09:00 コラム 文化・歴史9月9日、私は朝鮮で買ったチョゴリを身にまといながら、緊張していた。建国の日を、朝鮮で迎える。果たして私の中に、どのような感情が醸成されるのであろうか。不安が押し寄せていた。
日本による「北朝鮮」バッシングが激しくなっていく時期、私は自分が朝鮮人であることを知った。在日朝鮮人であることに向き合うことに、長い時間がかかってしまった理由に「北朝鮮」があったのだ。だからこそ、洗脳されている私の「日本人性」が、ここにきて湧き上がったりしないものだろうか、という恐怖を感じていた。
ゆっくり、考えてみた。私は朝鮮に来て、何を感じた?
朝鮮で過ごす日々の中で、自分は朝鮮革命史を背負い、今も歴史をつなげている民族の一人なのだと自覚した。20年間の蓄積で、分厚くなっていた朝鮮人であることの「恥」の感情が、消えていった。しかし、なお根深く私の中沈殿している「日本人性」が朝鮮人民と私の違いを、つきつけていた。
そんな私の心を読んだかのように、案内員が声をかけてくれた。「朝鮮民族であることを忘れちゃいけない。朝鮮の愛を忘れちゃいけない」。
胸が熱くなった。そうだ、忘れてはいけない。民族の生命は、私の生命であり、私の生命は、民族の生命ではないか。その民族の尊厳を守るために、帝国と闘い続ける受け皿になってくれているのが朝鮮ではないか。朝鮮と私という存在が、繋がった。それは、朝鮮の愛を心から感じるようになった瞬間でもあった。
(大学院生)