〈それぞれの四季〉咄嗟のウリマル/高明愛
2014年06月16日 16:47 文化・歴史 コラム大学入学当時、朝鮮学校を卒業して間もなかった私は、返事を咄嗟にウリマルでしてしまうことが多かった。周りは聞き慣れていないせいか、ウリマルの「イェ」が「YEAH」に聞こえるらしく、最初はラッパー気取りかと笑われた。それからは間違いを正すかのように、使いなれていた「ナァ」も意識的に「私」と言い換えるようになったし、家族の話の時も「アボジ」が「お父さん」に「ハンメ」が「おばぁちゃん」になって、最初は自分の家族の話をしているように思えない時もあった。
バイト先の店長には、よく「(日本で生まれて育ったのに)日本語を18年間学んできました、というような日本語を使うなぁ」と言われた。今考えると、朝鮮学校での会話はほとんどウリマルだったし、家で使う日本語はすべてタメ口だった。それによって日本語、特に敬語を使うことに慣れていなかったのである。朝鮮学校出身生の中で「〇〇イジヨ」という風に語尾だけウリマルになることも、このような環境で育ったことの典型的例であるかもしれない。それが悪いとは思わないし、むしろそれだけ徹底してウリマルでの生活を維持しているのがまさに朝鮮学校という場なのであろう。
在日朝鮮人の存在や朝鮮学校について知らない人たちが圧倒的多数を占める中で、このような局面では萎縮してしまいがちだが、咄嗟にウリマルが出てしまうこと自体が決して間違っていることではないはずだと私は思う。
(留学同京都)