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ぼくたちの7年闘争(下)/「総聯はかっこいい」

2014年05月14日 14:50 コラム

もう一つのトンポテチャッキ運動

私は、いつまでもこのままでは良くないと思いながらも、これからどうするべきか思案に暮れた。

友人たちは、賛否両論。「そこまで、しなくても…」。「お前は、昔から後先考えない…」等々。

私は悩んだ挙句、東京にある民族系のお寺に連絡し、住職に相談した。住職は、「委員長、良いことをしました」と言って、ご遺骨を持って来るようにと言われた。私は、お金がないことも告げたが、心配することはないと、言って下さった。

翌日、ご遺骨を抱いて、金一男分会長と共にお寺に向かった。

住職が丁重にお経をあげ、ご遺骨を祭壇に納め、永代供養をして下さった。

私は住職に、この御恩に報いられるように、必ずや故人の身内を探し出し、永代供養料も納められるように努力することを約束した。

その日から、私たちの7年間に及ぶ、長い闘いが始まった。

聞き込みと、私たち総聯の情報網を駆使した結果、故人の過去の生活の足取りが掴め、息子さんが居ることが判明したが、消息までは掴めなかった。

そんな時、朝鮮新報の取材を受け、その時故人の情報を紙面とインターネット版に掲載してもらった。

江戸川支部と同胞生活相談綜合センターからも、ネット配信を重ねた結果、南朝鮮からも、多くの情報と励ましの便りが寄せられた。しかし、これと言った手がかりはなかった。中には、李さんの故郷である慶尚北道慶州在住の方から、「力になるから一度こちらに来られてはどうか。」とのメールも頂いた。

その間、私たちは同胞有志たちに永代供養料を立替えてもらい、東京家庭裁判所に対し、葛飾区役所が申立人となり、永代供養料立替「相続財産管理人選任申立」を行った。そして長い裁判が始まった。

私たちは故人の財産を守るためその間、葛飾区役所の担当者が替わる都度、足を運んでは、説明してこの一件を風化させないよう努力した。また区役所も私たちの気持ちを察して、労力を惜しまずに協力してくれた。

そして、昨年の7月裁判所は、李さんの相続財産管理人として弁護士を選任した。

その後、国選弁護士とのやりとりに於いて、当初彼らは私たちの行動が理解出来ない様子であったが、私たち在日の歴史、そして民族性を重んじる同胞たちの熱い思いを伝えると、次第に共感をしてくれたようであった。

そして先日、弁護士から連絡を受けた。ついに裁判所が私たちの申立てを相当と認める審判を下したという。私は「やったぞ!」と拳を握り締めた。私たちの7年にわたるたたかいが、決して無駄ではなかった。そして、正しかった、そんな勝利の瞬間であった。

こうして、終止符が打たれた。いや、まだ終わったわけではない。

故人の御霊前で、ご子息が手を合わせる日が訪れるまで。

その日こそ、故人が本当の意味で、成仏出来る日なのではないだろうか。そんな日がいつか来るだろうと思うと、顔も知らない故人だが、彼の満面の笑顔が今にも目に浮かぶようである。

先月、分会長と共にお寺を訪ねて、住職にご報告にあがった。住職は大変喜んで下さり、これからもこういった事例が増えて行く、頑張ってセンターを発展させてほしいと励まされた。

私たちは帰り際に、お寺を振り返り、手を合わせた。

「清々しい気分だ…」。私が言うと、分会長が言った。「委員長、総聯はカッコ良いよ。何処も真似出来ない。OK、OKだ。」と言って笑った。

今日も「生活相談綜合センター」の専用ダイヤルが鳴る。あれから7年、新米だった私は今では、その道の「プロ」と自称するまでになった。

金一男分会長は、現在分会の顧問になった。若手にバトンタッチし、新小岩分会は今も新しい世代が中心になり、盛り上がっている。今日現在も「70日運動」を繰り広げ、「新全盛期模範分会創造運動」に拍車をかけている。

そして今日も、トンポテチャッキ運動は絶え間無く続いている。

(梁春植・江戸川同胞生活相談綜合センター所長)

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