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〈震災から3年〉東北初中、倒壊した校舎に誓った決意/座談会

2014年03月07日 15:36 主要ニュース

同胞社会にかける若き思い

時々刻々と伝えられる東日本大震災の被害状況。当時、朝鮮大学校で学んでいた東北地方出身の学生たちは、生まれ育った地が被った惨状に言葉を失うしかなかった。そんな中、被災地同胞たちのために各地から差し伸べられた温かい支援は、今も心に残る。東北朝鮮初中高級学校(現在は初中)で民族教育に触れ、2012年度に朝大を卒業した呉龍雨さん、趙顯明さん、秦善玉さんは現在、東北地方同胞社会の未来を担うべく奮闘の日々を過ごしている。大震災から3年。それぞれの活動にかける思いを聞いた。

左から呉龍雨さん、秦善玉さん、趙顯明さん

左から呉龍雨さん、秦善玉さん、趙顯明さん

呉龍雨さん(23、朝青専従活動家)趙顯明さん(23、商工会職員)秦善玉さん(23、東北初中教員)

―震災時の心境は。

呉龍雨(以下、呉) 私たち3人は東北初中高(08年度に高級部休校)最後の高級部生。ハッキョ(学校)に対する愛着も大きかった。震災後、私が生まれ育った青森で集まった支援物資を届けようと向かったハッキョで目の当たりにしたのは、崩れかかった校舎だった。茫然自失、悔しくて言葉が出なかった。震災は自分にとってなによりも大事なものを奪っていった。

趙顯明(以下、趙) 朝青で組まれた支援部隊の一員として東北初中に向かったが、まだ朝大生だったため、長くとどまることもできず東京に戻らなければならなかった。同胞たちは一生懸命活動しているのに、自分は何もできない。もどかしさでいっぱいだった。

ハッキョや同胞社会を守るために何かしなければならないという思いに、母校の倒壊という現実が拍車をかけた。朝大での日常生活の中で薄れかけていたハッキョへの熱い気持ちを、震災が逆に思い出させてくれた。

秦善玉(以下、秦) 震災後、神戸の初級部生たちから励ましの手紙や支援金が東北初中に届いたと聞いて、彼らの心温まる行動に涙が止まらなかった。その出来事が民族教育に従事したいという思いを強くしてくれたし、その後、母校での教育実習期間が決意をいっそう固めてくれた。児童・生徒のために寝る間も惜しんで活動する教員たちの姿に心を打たれた。

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