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忘れられた、知られざる、未だ終わらない戦争/クラーク元米司法長官

2013年08月10日 10:03 主要ニュース

1日に行われた国際シンポジウムに寄せた、ラムゼイ・クラーク元米司法長官の基調報告の要旨を紹介する。

間違った「大惨事」

1950年代の初め、ホワイトハウス、統合参謀本部、議会、そして米国国民にとって、朝鮮戦争はその前例、すなわち第2次世界大戦のような基準でみなされることは決してなかった。それは遠く離れた、いかなる重要な戦略的利益も見出せない遅れた国で戦われ、こう着状態のまま終わった。それは国家的威信と戦争の記憶にとって命取りとなる結果であった。議会の委任を求めず、国連の委任に先立って、米軍を派兵することを決定したにも関わらず、トルーマン大統領はこの戦いを「戦争」とは決して認めなかった。

停戦協定60周年に際して行われた国際シンポジウムで発言するクラーク元米司法長官

停戦協定60周年に際して行われた国際シンポジウムで発言するクラーク元米司法長官

50年から53年までの泥沼の3年間を通じて、トルーマンはこの戦争のことを「警察行為」と呼んでいた。一方で彼と軍の指導部が中国に核爆弾を落とすことを検討していた。統合参謀本部議長であったオマール・ブラッドリーは、この戦争を「軍事的大惨事」「間違った場所で、間違った時に、間違った敵と戦った、間違った戦争」と呼んだ。14年間にわたって太平洋地域の米軍における支配的な地位にいた、ダグラス・マッカーサーは、第2次大戦後、日本と朝鮮半島において英国のインド統治のような統治を行った。彼自身の無謬性に対する錯覚から、彼は朝鮮半島においてたやすく勝利を収められると信じきっていた。戦争が誤った方向に行っていることが明らかになったとき、彼は朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)全土を爆弾で焼き尽くそうとした。

戦争の終結にあたって平和条約は結ばれなかった。そして戦争によって解決された問題は何一つなかった。朝鮮半島における「平和」は、依然として、1953年の停戦協定と、南北双方の兵士と国連軍によって維持されている重武装化された「非武装地帯(DMZ)」によって、かろうじて保たれている。米国の対朝鮮政策は、過去60年間、ひたすら体制転換を追求してきた。

朝鮮戦争が「忘れられた戦争」と呼ばれていることに驚きはない。米国の政治的・軍事的意思決定者たちはみな、冷戦における最初の衝突において露呈した自らの無能さという屈辱を、忘れ去りたかったのである。厭戦気分はすぐに広がった。米国の国民たちは農民を相手に戦っている兵士たちと距離をおいた。辺地にあるアジアの小国で農民たちを相手に負けることなどあってはならないことだった。

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