〈教室で〉群馬朝鮮初中級学校・周美香教員
2013年07月01日 10:10 民族教育群馬朝鮮初中級学校(群馬県前橋市)、中1「日本語」の授業。
周美香教員(32)は、「文法」のおさらいのため、生徒たちにいくつかの文節を考えさせ、それらをつなげて文章を作った。生徒たちの「文節」をつなげると次のようになる。
「ぼくは/遊園地で/ゴリラと/遊んだので/とても/幸せだった」
できあがった文章を見て、教室に笑いが起こった。
文法をきっちり教える
「文の成分を見て行きましょう」と朱教員。
「述語はどれですか?」
―幸せだった。
「主語は?」
―ぼくは。
「『遊園地で』は?」
―修飾語。
「『遊んだので』は?」
―接続語。
…
文章の主人公は、「ぼく」である。朱教員は、「『ぼくが幸せだった』、それを修飾語と接続語で話した。今日は、この文法の知識を生かして、『説明文』を学ぶ」と伝えた。生徒たちには文法や説明文の類を嫌う傾向がある。周教員は、「説明文の授業はとても大切。みなさんが学校を卒業して、社会に出て仕事をするようになると、勉強をしなくても良いのではなくて、もっと勉強しなくてはいけない」と話し、生徒たちに将来の夢について聞いた。
ある女子生徒は、保育士か舞踊の講師になりたいと話す。周教員は、「自分が先生になると、自分の先生はそこにはいない。子どもたちを受け持って、さあどうする? 人に教えるためにはどうすればいい?」と聞く。
生徒たちからは、「本を読む」との回答が。
「その本というのは、ほとんどが説明文だ。生活面でも、携帯電話ひとつ使うためにも、説明書を読まなくてはいけない。ゲームを買った時も同じ。仕事や生活で、最も接する機会の多いのが説明文と言える。授業では、説明文を読み解く練習をする」と話した。
教材を一読して、漢字と語句の説明を終えると、周教員は、「一段落の内容をまとめて」と生徒たちに言った。生徒たちは「無理~!」と悲鳴を上げる。
文章は、文章>段落>文>文節>単語に分けられる。朱教員は、「(一つの内容の塊である)段落の中に、作者の考え、前書き、説明、まとめ、付け加えがある」と話し、その中で「作者が伝えたかった一番大切なもの」を選んでみようと呼びかけた。
朝鮮語との対比
教員生活11年目。周教員は、朝鮮学校の日本語教育について「在日同胞にとって母語であり、生活用語でもある日本語を、子どもたちが正しく使えるかどうかは、今後の生活に直接結びつく大きな課題と言える。日本語の基礎をしっかり磨くことが、ウリマル習得にも影響を及ぼし、また、学業成績、就職後もウリハッキョ卒業生として堂々と働く基盤になる」と考える。
そして話題は、朝鮮学校で使われる「日本語」の教科書に。
周教員は、「教材がとてもよくできている。日本の『国語』ではなく、朝鮮学校の『日本語』教材として。私自身、魅力を感じるし、内容も素晴らしい」と話した。というのは、「日本語」の教材には、朝鮮人被爆者や、関東大震災をテーマにした作品なども含まれ、他国の文学を通して、歴史を学び、民族文化を大切にする気持ちを養えるよう工夫されているからだ。
周教員は、授業のほかにも、日本語の文章を理論的に分析し、国語の文法との対比にも関心を寄せている。
「朝鮮語と日本語は似ているけど、品詞の区分に違いがあったり、助詞の使い方で異なる点がある。例えば、『을/를』は基本的には『を』と翻訳するが、日本語の『を』の使い方と朝鮮語の『을/를』では使い方に違いがある」
例えば、「뻐스를탄다」「국어를좋아한다」の場合、日本語にすると、「バス『に』乗る」「国語『が』好きだ」となる。「バス『を』乗る」「国語『を』好きだ」とは言わない。
「基本は直訳でも大丈夫。でも、例外もある。それを子どもたちがよく間違えるので、一覧表を作ってみた。それを使って文法の授業をしたこともある」
周教員は、「을/를=を」「가/이=が」「로/으로=で」の朝鮮語と日本語の助詞の対比表を作り、日本語○、朝鮮語☓、日本語×、朝鮮語○にどのようなものがあるか、膨大な資料作りに取り組んだ。そして、「日本語では使えるけれど、朝鮮語では使わない言葉は、子どもたちがよく間違える。しかし、その逆はない。なぜなら朝鮮語を知らないから。子どもたちのベースは日本語。それを朝鮮語に置き換えているから、日本語○、朝鮮語☓をよく間違える」と話した。
彼女は、国語教育では「口語」に重点が置かれているが、「日本語を母語とする子どもたちに朝鮮語を教える場合、日本人に朝鮮語を教えるのと同様に、高学年では文法的な要素を取り入れる必要性を感じている」とも言う。
周教員は、実際に、日本人に朝鮮語を教えながら、そのつまづきが、生徒たちのそれとどう関連するのか実践を通して研究している。「間違えるところはほぼ同じ。それは、母語が日本語という共通点からくるものだから」。
(金潤順記者)
プロフィール
1980年生まれ。群馬初中、茨城朝鮮初中高級学校、朝鮮大学校外国語学部卒業。東北初中高(当時)、群馬初中で教べんをとる。現在、初5、中1、2、3の日本語担当。
私の一言
周教員は、私の東北朝鮮初中高級学校(当時)時代の恩師である。中1のときの担任で、大好きな先生だった。当時は新任で、周教員自身も、私たちへの思い入れが人一倍強かったと思う。東北の学校で毎年開催されていた、校内合唱コンテストに向けて、一緒にたくさん練習したことが思い出深い。中1の頃のクラスメイトは16人。昨年、周教員の結婚式には同級生たちが写真やビデオでメッセージを届けた。同級生たちの大半(10人)は高級部卒業後、朝大に進学し、そのうち2人が教員になった。私も今年から晴れて教壇に立つことになりとても嬉しく思っている。親元を離れて群馬県で初めての一人暮らしを経験することになり、最初は不安もあったけど、周教員がいるので心強い面もある。周教員は、時々自宅に招いてくれたり、海苔やキムチを分けてくれたりと気遣ってくれている。いつか、周教員の子どもを受け持って恩返しができるよう、一日一日を教員として大切に過ごして行きたい。
(金錦実教員)