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〈大冒険とラブロマンスと〉歴史小説「陽光の剣 高麗王若光(じゃっこう)物語」刊行

2013年05月14日 17:39 文化・歴史 主要ニュース

著者は若光直系の子孫、60代宮司高麗文康さん

東アジアの強国、高句麗(紀元前3世紀~668年)から渡来した高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)によって、 埼玉県日高市、飯能市周辺に「高麗(こま)郡」がつくられて2016年に1300年を迎える。その一大イベントを控えて高麗神社(日高市)の宮司・高麗文康さん(46)が、祖先をモデルにした歴史小説「陽光の剣 高麗王若光(じゃっこう)物語」を出版した。「官民あげて準備している『高麗郡建郡1300年祭』を盛り上げるためにも、この小説が呼び水になってほしいと期待している」と話している。

問い合わせ=幹書房、TEL. 048(833)6999。1,500円+税

高麗郡は、716年に朝鮮半島北部から中国・東北地方の領土を擁した高句麗(こうくり)から渡来した人たちが移住して建設。初代の郡司には高麗王若光が就き、1896年(明治29)年まで存続した。高麗神社は若光を祭神として建立され、高麗さんは60代目の直系の子孫。

高麗さんによると、若光の名は「日本書紀」や「続日本紀」「高麗氏系図」などに登場し、実在は確認されているが、歴史的にはあまり知られていない。このため建郡1300年行事で柱となる若光のイメージづくりが必要だとの声が地元などから上がり、高麗さんに小説の依頼がきた。高麗さんは宮司としての務めを果たしながら、およそ1年がかりでエンターテイメント色豊かな歴史ロマン小説に仕上げた。

小説は剣術に秀でた若き日の若光が祖国の命運を背負って日本へ渡り、大和朝廷と交流。高句麗滅亡後は、東国に新天地を築く-という大冒険あり、ラブロマンスありと子どもから大人まで楽しめる内容になっている。

高麗さんは以前、高句麗の故地・集安(現在は中国・東北地方)を訪れ広開土王碑を見てきたことがある。「碑の前に立った時、日本広しと言えども、ここまで自分の先祖をたどれるのは私だけだろうなと思ったら、よい気分だった」と振り返る。

先代の澄夫氏は2006年に死去。30台の若き宮司の両肩に約1300年脈々と続く伝統と責任が託された。これまで、「人を笑わせるのが好き」だという持ち前の明るさと巧みなユーモアで、年間40万人を超える内外の観光客を魅了してきた。

同神社を訪れる人たちを前にまず、「私の祖先は高句麗人です」と自己紹介。日本最古の家柄を誇る系図(族譜)に触れながら、「男子相伝」といわれる宮司職について、「職業選択の自由がございません」と笑いの渦に巻き込む。そして、「高句麗から渡ってきた祖先は、大和朝廷に重んじられたが、近代に至るまでには、家が没落したり、戦に巻き込まれたりしたこともある。わが家の家訓は『戦に与せず』、『借金してはならず』。今後もこの教えを守って、家の誇りを子孫に伝えていきたい」と語ると聴衆からは共感の拍手が沸き起こる。

自著を手にする高麗文康さん

高麗さんは東アジアの平和への思いも深い。それは近代の日朝間の歴史に起因する。

日清戦争終結の翌年、1896年に高麗郡は入間郡に編入され、その名が地上から消えた。

さらに、1955年には高麗村と高麗川村が合併して日高町になり、千年以上、この地に刻まれた由緒ある「高麗」の名は行政上から消えたのだ。

しかし、1970年代以降の歴史ブーム、あるいは昨今の韓流時代劇の人気などで再び脚光を浴びる高麗神社。高麗さんは「この本を通じて、さまざまな年代の方が地域に関心を持つきっかけになればと願っている。とくに子どもたちには、東アジアの悠久の歴史の上で自分たちが生きていること知ってほしいですね」と期待を寄せている。

(朴日粉)

 

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