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4.24教育闘争65周年記念朝鮮大学校特別演壇

2013年05月07日 16:43 主要ニュース

「若い世代が同胞社会を引っ張って」

朝鮮大学校講堂で行われた「4.24教育闘争65周年記念朝鮮大学校特別演壇」

「4.24教育闘争65周年記念朝鮮大学校特別演壇」が4月29日、東京・小平市の朝鮮大学校講堂で行われた。朝鮮大学校の学生、教職員、来賓など、約750人が参加した。

在日同胞たちによる民族教育擁護運動の歴史の中で金字塔となった「4.24教育闘争」が65周年を迎えた今日、同胞たちが忘れてはならない4.24の闘争精神や、現在も続いている民族的弾圧の本質を認識するとともに、若い世代が同胞社会を牽引し民族教育を継承していく重要性が強調された。

はじめに、朝鮮問題研究センターの金哲秀室長が「4.24教育闘争とその意義」について話した。

金室長は、祖国解放後に在日同胞たちが開始した民族教育に対して、民族教育を規制し、違反すれば学校を閉鎖すると定めた通達「朝鮮人設立学校の取り扱いについて」が、1948年1月24日に米占領軍の指示のもと、文科省によって各都道府県庁に送られたことに触れ、「通達は明らかに民族教育を否定し、同化教育を強要するものだ」と指摘した。

また、象徴的な闘争として、閉鎖令執行を延期させた山口県と岡山県での闘争を挙げ、兵庫では1948年4月24日、同胞たちが県庁の前に集い、拳銃を持つ警官に「撃つなら私から撃て」と命がけで立ち向かい、閉鎖令を撤回する署名を勝ち取ったと語った。

その後、米占領軍により署名が白紙化され、「非常事態宣言」の発布にともなう「朝鮮人狩り」によって多くの無実の同胞が逮捕、拘禁されたと述べ、兵庫での「非常事態宣言」の背景には、朝鮮半島での1948年の4月南北連席会議があり、不法な単独選挙に対して南朝鮮で暴動が起こったら、米国は軍隊を兵庫に避難させるつもりであったため、兵庫における支配力を強めておく必要があったと話した。

金室長は、「4.24教育闘争」がなかったら、今の民族教育も、朝大もなかったとしながら、「先代が遺産として残してくれた4.24時代の闘争的気概という精神的財産、同胞たちの犠牲のもとに守られた朝鮮学校という物質的財産を受け継ぎ、これからも民族教育を守っていこう」と呼びかけた。

つづいて在日本朝鮮文学芸術家同盟中央の金児筆顧問が、「4.24教育闘争に参加して」と題して、体験談を語った。

金顧問は17歳の頃、1947年6月、当時民族教育の最高学府であり、初めての初等学園の教員養成機関である朝聯大阪府本部所属大阪朝鮮師範学校に入学した。当時、米占領軍と日本政府による民族教育権を奪い取ろうとする学校閉鎖令に対して、同胞たちの怒りが爆発し、日本各地で民族教育を死守しようとする闘争が繰り広げられたと述べ、多くの同胞たちが大阪府庁前の公園に集まり、自らも参加した「朝鮮人学校閉鎖絶対反対人民大会」での出来事について、次のように語った。

「武装警察隊たちは朝鮮人なら子ども、大人関係なしに殺してもいいと言わんばかりに、激しく放水し、銃を乱射した。多くの同胞が負傷し、ひとりの少年が後頭部に銃弾を受け、息を引き取った。その少年こそ金太一少年だった。彼らの蛮行に対して怒りで体が震えた当時の記憶は今でも忘れない」

4.24闘争の中、大阪朝鮮師範学校は学びの場を移し、民族教育を継続してきたが、1949年10月には第2回となる学校閉鎖令が通達され、それを機に学校は門を閉めた。金顧問はその後、教員となり、1949年から17年間兵庫、大阪、和歌山で教鞭をとった。

米国と日本反動層の弾圧に屈することなく、民族教育のために尽力してきた金顧問は、「朝鮮に対する敵視政策や朝鮮学校の『高校無償化』制度からの除外、補助金凍結など、現在も民族抹殺の風が吹き荒れている」としながらも、「『4.24教育闘争精神』は脈々と受け継がれ、民族教育の根っこは揺るぎない。同胞たちの期待を一身に背負い、若い世代が実力のある人材に育ち、同胞社会を引っ張っていってほしい」と、学生たちに期待を込めた。

最後に、在日本朝鮮人人権協会の金東鶴事務局長が、「安倍政権の反総聯、反民族的教育策動の本質と我々の課題」について話した。

民主党政権下では、「外交上の配慮などにより判断すべきものではなく、教育上の観点から客観的に判断すべきもの」という政府統一見解のもと、「高校無償化」適用が引き延ばされ、安倍政権にいたっては発足後すぐさま、教育基本法に明記されている「私立学校の自主性」や「教育は、不当な支配に服することなく、・・・公正かつ適正に行われなければならない」といった事項に反して、「拉致問題の進展がない」こと、朝鮮学校が在日本朝鮮人総聯合会の影響下にあることなどを理由に「高校無償化」から朝鮮学校を排除する方針を打ち出した

これに関して金事務局長は、「拉致問題」は朝鮮学校に通う子どもたちに責任はなく、すべての子どもたちに保障された学ぶ権利を、朝鮮学校の子どもたちにも認めるべきだと述べた。

また、第2次世界大戦時にカナダで強制収容された日系人に対する政府の謝罪と補償、1930年代にソ連のスターリンが朝鮮民族を中央アジアやカザフスタンに強制移住させたことに対して政府が朝鮮民族の名誉回復のために民族学校を設立したことなどを例に挙げ、日本政府は原状回復の見地から朝鮮学校の活動を支援・補償するべきだと指摘した。

そして、過去に同胞たちが繰り広げた権利獲得闘争により朝大が認可され、「全国大会」への出場権や大学入学資格を勝ち取ったことに言及しながら、「日本各地で同胞たちが『無償化』問題や差別政策に対して立ち上がり闘っている。自分たちを取り巻く環境を構造的に把握し、実践に移す活動家、運命の開拓者になって権利獲得闘争を繰り広げてほしい」と語った。

司会を務めた教養部の李柄輝副部長は、民族教育が困難な状況に置かれてきた時、常に救いの手を差し伸べ教育援助費や奨学金を送ってくれたのは祖国であったとしながら、祖国のもとに同胞たちが一致団結し、同胞社会や民族教育を守りぬくという「4.24の精神」を忘れずに、これからも闘っていこうと述べた。

(李永徳)

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