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〈徐千夏先生の保健だより〉4月/学校はコミュニケーションの練習場(上)

2013年04月30日 10:05 コラム

いよいよ新学期も始まり、連休明けでクラブ活動やその他色々な行事がたくさん控えている1学期。皆さん、元気に登校登園できているでしょうか。新しい生活、特に集団生活には慣れましたでしょうか。学校は学び舎でもあり、大勢で集団生活を営む場でもあります。そんな中、最近、自分の言葉で自己表現できない子どもが気になります。

  • 自分の気持ちや状況を言葉で伝える力が足りない。
  • 時間をかけて信頼関係を築き、本心を話せる友だちを作れない。
  • 「嫌いな子とは、しゃべらなくていい」といった考えをする。
  • 学校で話せばよい内容までメールで伝えている。そのメールの言葉が足りなくてケンカになっている。
  • 大の仲良しだったのに、ほんの些細なことで仲が悪くなり、会話をしなくなってしまう。

最近の子どもたちはなぜ、こんなにコミュニケーションが下手なの?


楽しそうにお弁当をほおばる幼稚園児

異質なものとの接触のなさ

今の子どもたちは以前よりも「好きなものだけに囲まれて」過ごすことができる状況にあると思います。例えば、テレビ番組を録画してみる時、面白くない場面やCMは早送りしたり、カットしたりして見ることができます。これは自分が好きかどうかもわからないものに接するチャンスがとても少なくなるということでもあります。“雑菌”や“ノイズ”のないクリアな環境、異質なものが入り込みにくい状態とも言えるでしょう。

ノイズが入らない世界

紅白歌合戦などの歌番組を見ていてもフォークやポップ、演歌までジャンルの違ういろんなミュージシャンが登場するのを「これはちょっと好きじゃないな~」とか「あれ、結構好きかも」のように、これまでは触れることのない世界に触れて、視野を広げる機会がありました。けれどもYouTubeで好きな歌手の歌だけを見続けると、そこへ演歌が混じることは、ありません。コミュニケーションのなかには、自分とは違う考えの者に対して、どう自分の内面を伝えるか、という力が含まれます。ノイズが入らない世界にいては、この能力を発揮する機会は減ってしまうでしょう。

言葉に頼らない関係、超コミュニケーション

電車に乗っている時に気づいたことがあります。女子高生たちが団体で乗っていましたが、お互い会話もなく皆が携帯画面をのぞきこんでいました。そこで、写真や音楽を聴きながら、一緒に「カワイイ~」とか「カッコイイ」と声をあげる。

これは向き合ったコミュニケーションではないですね。対話という形ではなく、ものをはさんだ、平行遊び的な状況です。こういった遊び方は幼稚園児、小学生たちが集まって、それぞれが自分のゲーム機で遊びながら、一緒にいるという状況と同じです。

これを「超コミュニケーション」といいます。気持ちを何とか言葉にしようとしたり、相手の言葉に耳を傾けたりというよりも、雰囲気を感じとり、言葉以前のところでやりとりしているような状態。

この状態に慣れた子どもたちは共通点の少ない異質な相手、自分とは違う好みの持ち主、異世代との交流が、より苦手になっていく可能性が高いです。共通点を持たない、自分とは違う視点に立つ「第三者に説明する」という工夫をする必要がなくなります。

だれかにお願いすることや、分からないことを尋ねる、言っても伝わらないときに、どう表現したらわかってもらえるのか工夫するなどが必要ない環境にいるということになります。

自分をあいまいにしておくこと

メールやブログなどのメッセージが残るコミュニケーションは周りから見られているということを意識しすぎてしまいます。よって、自分をあいまいにしておくことや、ネガティブなホンネを表現しないように気をつけやすいでしょう。外側からどう見られるかが重要課題になるので、自分が何を考え、何を感じ、どう思ったかなどの本音に目を向けることが少なくなります。そして人生の早いうちから批判は人を傷つけることを知り、誰かにコメントする時は細心の注意を払うようになります。よって「自分をあいまいにしておく」と安心であり、浮かない、目立たない、あいまいにしておく…ことが増えているような気がします。次回はその対応策について記述したいと思います。

(養護教員)

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