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「虐殺であったか判断する立場にない」/都教委が高校副読本書きかえで回答

2013年03月28日 16:43 主要ニュース

1月25日の朝日新聞東京版において、東京都教育委員会が作ったテキスト「江戸から東京へ」の関東大震災時の朝鮮人虐殺関連の記述において、虐殺という文字が削られたという記事が出た。これについて、「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」(共同代表=石田 貞、石橋正夫、姜 徳相、山田昭次、吉川 清の各氏)は2月23日付で都教委へ質問状を提出し、回答を求めた。これに対し、都教育委から3月22日付で次のような回答があったという。その内容について、「国家責任を問う会」は求めた質問に対する回答として不十分なものであると同時に、回答自体に問題があるものと考え、その回答について、次のような批判を行った。

第1に、都教委は回答の2で虐殺が「程度や基準に曖昧な面がある言葉」であると述べ、また回答4・8で他の教科書の事例を引きながら必ずしも統一的に教科書で使われている言葉でないことを強調し、5で都教委は「虐殺であったか判断する立場にありません」としている。しかし、それが「虐殺」という言葉を選ばなかった主体的な理由にはならない。「国家責任を問う会」の質問に正面から答えているとは言い難い。本来、どのような言葉を使うかは資料に即した主体的な検討からなされるのであって、他の教科書がどうであるかのみで判断するものではない。そればかりではなく、資料に基づけば、明らかに虐殺という事例が見られるのであり、そうであればこそ、これまでの概説書でも「虐殺」という言葉が使われた。それを変えるからには、より実証に即した検討がなされなければならない。

第2に、回答の5で、1923年の朝鮮人虐殺をコラムの碑の説明に変えたのであり、「より客観的な紹介になると考え」、追悼碑の文章を「引用した」と述べ、6で「生命を奪った主体を明らかにすることを目的とするものではない」と述べているが、コラムの説明として見た場合でも、誰によって「生命を奪われた」のか、それは地震や火事によるのか、軍隊や民衆によるのかがわからない不明瞭な文章であるばかりでなく、碑の建立の目的が虐殺された朝鮮人への追悼であることから考えても、碑の意味をきちんと説明できていない文章だと考えている。

こうした意味で都教委の回答は問題を抱えており、朝鮮人虐殺を隠蔽する内容になっていると言える。

第3に、回答の9において、以前の記述を変更するにあたり「監修者や執筆者に相談する内容ではないと判断し」たとしているが、以上のような重大な変更について、事前に相談する内容でないとはとても考えらない。

これらの問題から考えて、「国家責任を問う会」は都教委の回答が質問状に十分に答えたものとは考えられず、この回答を起草した執筆者および直接の職責者より具体的な回答を求めることが必要であると判断し、以上の問題についてあらためて回答を求めるとした。以下、図の左側は「国家責任を問う会」の質問内容、右側は都教委の回答。

Ⅰ. 変更後の内容の問題点について

質 問 回 答
1. 朝日新聞(1月25日付)の記事は、事実として正確であるか否か。もし正確でないとすればどこが正確ではないのか、具体的に指摘してください。 「誤解を招く表現」だけを再検討したのでなく、「江戸から東京へ」の内容をより良くするための検討を行ってきました。関東大震災の史跡のコラムの修正については、当該コラムが「関東大震災の史跡を訪れてみよう」というテーマで史跡を紹介する内容であることから、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑の文を引用して説明する方が、史跡を紹介する内容としてより客観的な紹介になると考えて行ったものです。
2. 変更を担当した職責者における「虐殺」の定義を説明してください。 「虐殺」とは、辞書には「むごたらしく殺すこと」、「むごたらしい手段で殺すこと」とありますが、程度や基準に曖昧な面がある言葉です。
「新明解 国語辞典」(三省堂):むごたらしく殺すこと。
「広辞苑」(岩波書店):むごたらしい手段で殺すこと。
3. 上述の記事によれば、「誤解を招く表現」を再検討する中で「虐殺」という文言についての検討も俎上に載ったものと読めるが、それは事実か。事実であるとすれば、それはいかなる意味で「誤解を招く表現」なのか。事実と異なるとすれば、なぜ「虐殺」という文言を削ったのでしょうか。 「江戸から東京へ」の内容を検討した結果、当該コラムで記述している内容について、文部科学省検定済みの高等学校日本史教科書においては出版社や教科書によって「虐殺」、「殺害」、「殺傷」と表現が異なっていたことから、当該コラムが「関東大震災の史跡を訪れてみよう」というテーマで史跡を紹介する内容であることから、当該追悼碑の文を引用する方がより客観的な紹介になると考え、「朝鮮人が尊い生命を奪われました。」との部分を引用しました。
都教育委員会は、「朝鮮人が尊い生命を奪われ」たことについて、それが虐殺であったか判断する立場にありません。
4. 「虐殺」という表現について、「いろいろな説があり」とあるが、それはどのような説か。検討した研究業績を挙げて説明してください。とりわけ、「虐殺」には当たらないとする「説」について、書名とその中に書かれている論拠、およびその論拠が信頼するに足る理由を挙げて説明してください。 文部科学省検定済みの高等学校日本史教科書においては出版社や教科書によって「虐殺」、「殺害」、「殺傷」と表現が異なっている。
「虐殺」:実教出版「高校日本史A」、東京書籍「日本史A 現代からの歴史」、第一学習社「高等学校日本史  人・くらし・未来」
「殺害」:山川出版社「現代の日本史」
「殺傷」:明成社「最新日本史」、山川出版社「詳説日本史」(いずれも新学習指導要領に対応した平成25年度向け教科書)
5. 記事において、「虐殺」の「言葉から残虐なイメージも喚起する」と言われているようだが、この部分は関東大震災時の、官民ともに行なった朝鮮人や中国人、日本人への殺害行為が「残虐でなかった」と読み取れるが、そのように理解してよいか。
そうではなく、事実としては「残虐」であっても教科書に書くのは適当でないと判断したのであれば、それはいかなる科学的な論拠に基くのか。具体的な書名とその中に書かれている論拠、および信頼するに足る理由を挙げて説明してください。たとえば、こうした場合、「世間一般の常識」とか、「発達段階」などの理由がよく挙げられますが、それだけでは単なる印象論に留まるので、そうした説明をされるのであれば、具体的な学問的根拠を示してください。
都教育委員会は、「朝鮮人が尊い生命を奪われ」たことについて、それが虐殺であったか判断する立場にありません。
当該コラムが「関東大震災の史跡を訪れてみよう」というテーマで史跡を紹介する内容であることから、当該追悼碑の文を引用す方がより客観的な紹介になると考え、「朝鮮人が尊い生命を奪われました。」との部分を引用しました。
6. 変更後の「朝鮮人の尊い生命が奪われました」について、生命を奪った主体が明記されていないので、建物の倒壊や火事、津波等によるもの(天災)なのか、上述の虐殺によるもの(人災)なのか、文章からは判別できない(変更前の文章にも虐殺した主体が不明という欠陥があったが、人災であることはわかる)。戒厳令下において軍隊・警察・民衆が朝鮮人を虐殺したことは否定できない事実である。
この碑の建立の趣旨が後者であることは疑いえないから、この点を曖昧にする本書の記述には問題があると考える。こうした問題点について変更の作業を行なった職責者の見解を求めます。
当該コラムは「関東大震災の史跡を訪れてみよう」というテーマで史跡を紹介する内容であり、生命を奪った主体を明らかにすることを目的とするものではありません。

Ⅱ.変更の手続き等の問題点について

質 問 回 答
7. 変更に至る経緯とその経過について具体的に教えてください。 「江戸から東京へ」の内容は常に検討を行っており、今回修正する必要があった3箇所の修正を事務局案として平成25年1月24日開催の教育委員会定例会に報告し、了解を得ました。
8. この変更に関わったのはどなたでしょうか。とりわけ、記事には「殺害方法がすべて虐殺と我々には判断できない」とありますが、その場合の「我々」とは具体的に誰を指しているのでしょうか。また、「判断できない」にもかかわらず、なぜ変更が可能となったのでしょうか。 「我々」とは東京都教育委員会のことです。「江戸から東京へ」の作成及び修正については、指導部高等学校教育指導課が担当しています。文部科学省検定済みの高等学校日本史教科書においては出版社や教科書によって「虐殺」、「殺害」、「殺傷」と表現が異なっていたことから、いずれの表現もとらずに、当該追悼碑の文を引用する方がより客観的な紹介になると考えました。
9. 「副読本を監修した専門家には相談しなかった」のはなぜでしょうか。教科書の改訂に当たり、第一にその内容について専門的な知識を持つ人に相談しないのはおよそ考えられないばかりでなく、第二に監修者は教科書の内容に責任を持つ立場にあるわけですから、手続き的にもどうして監修者に無断の変更が許されるのか理解できない。この二つの点に即して理由を具体的に説明してください。また、記事が事実と異なると言うのであれば、いったいどの段階(記述の変更前後、記事の掲載前後、等)で了解を得たのか、説明してください。 当該コラムが「関東大震災の史跡を訪れてみよう」というテーマで史跡を紹介する内容であり、修正内容も「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」を紹介する内容への変更であるので、監修者や執筆者に相談する内容ではないと判断し、1月24日の教育委員会の前に監修者や執筆者に報告しました。
10. コラムでは、「虐殺」という文言が単に削られたのではなく、1923年に起こった出来事の説明から、1973年に建てられた碑の説明に換えられている。この変更は、記事の『「誤解を招く表現」を再検討』したこととどのような関連があるのか、関連しないならばそれはいかなる理由と経緯によるものか、説明してください。 当該コラムが「関東大震災の史跡を訪れてみよう」というテーマであることから、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑を紹介する内容にしました。
11.当該碑建立実行委員会が追悼碑建立の経過として書いた文章を見ると、引用箇所には「朝鮮人が尊い生命を奪われました」と書かれており、本書の引用は誤りです。かぎ括弧を使用しているからには、正確な「引用」でなければならないことは言うまでもなく、とりわけ教科書に書かれた文章であれば一言一句に細心の注意が払われねばならない。これが誤植によるものだとすれば、変更者および職責者の責任が問われます。意図的な変更でないのなら、その誤引用はなぜ生じたのか。 引用の誤りについては、意図的なものではありません。当初は碑文どおりで作成していましたが、修正を行っている過程で誤りが生じたものと考えています。印刷の際に、「朝鮮人が尊い生命を奪われました。」と正確に引用します。

(朝鮮新報)

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