〈取材ノート〉「アンニョンハセヨ」
2013年02月04日 17:05 コラム「アンニョンハセヨ」
すれ違いながら子どもたちが次から次へとあいさつしてくる。その数が多いものだから、返すこちらも大変だ。
年が明けて1月10日、本社支局が入る平壌ホテルに、日本各地の朝鮮学校に通う児童・生徒たちが大挙してやってきた。旧正月(2月10日)に平壌で行われる「迎春公演」に出演するためだ。その数、初級部5年から高級部2年までの118人。
児童心理だろうか。幼い子どもたちの移動は常に「走」である。隣部屋に遊びに行くときも、集合時間にはまだ間に合うのに、階段を上がるときも。その姿がほほえましく、ホテル従業員も宿泊客も目を細める。
「在日同胞の子どもたちは、いいなぁ。あんなに小さくても朝鮮語が話せて」。50代の在中同胞が、こうこぼした。朝鮮にもよく同伴する20代の息子はまったく朝鮮語を操れない。
「4世、5世になっても日本にいる同胞たちは(海外同胞の)手本だよ」
朝鮮学校で一語いち語、一文字ひと文字、少しずつ培ってきた民族の言葉。ネイティブに比べて語彙量も格段に少なければ表現力も乏しい。発音だって少し変かもしれない。
子どもたちは初めて接した本国の言葉に最初は戸惑う。そして徐々に慣れてくる。接する時間がもっと長ければ、ネイティブ同様に話すだろう。そこには、日本で学んだ土台がある。
平壌にいて改めて思う。朝鮮学校はやっぱりすばらしい、と。(茂)