社会的強制に等しい 歴史の忘却
2012年11月01日 09:00 文化・歴史明日なき今日-眩(くるめ)く視界のなかで/辺見庸
今の日本をとらえるのにふさわしい言葉がここに紡がれている。
「恐怖の因は『乱』である以上に『虚』である。いま、なにが怖いのか。
なにが怪しいのか……。未来性のすべてを喪い、底知れぬ空無のみが漂う
現在という時。」
作家であり、詩人でもある著者の現代ニッポン論。狂の時代に挑む著者最新の語り。鬼気せまる孤高の文章には、時代を剥がす思考が凝縮され、一気に読ませる。
まず、辺見さんが鋭く問題を投げるのは、原発事故以降流されているNHKの震災復興支援ソング「花が咲く」のメロディー。「花と愛、恋。ただうっすら切なくて美しい。極論すれば、あれなんだよなファシズムって。いま風ファシズムはべつに勇ましいわけじゃない。どっちかというと耳ざわりがよくて優しい」と。みごとな翼賛歌であり、原発再稼動や日米軍事協力強化を覆い隠す役割、「激しい論争を導くことも避ける。社会が闘争化せず、諧調のうちに和むように」という指摘に目からウロコが落ちる。
かつて辺見さんはその著書で、「忘却が記憶を制圧してはならない。忘却による記憶殺しを許してはならない。少なくともこれからは記憶殺しに加担してはならない」と主張したことがある。それから数年経って刊行された本書において、さらにその危機意識は深まっており、「歴史の忘却というのは、いまやほとんど社会的強制に等しい」と述べ、「忘れてはならない歴史を忘れようとするし、忘れまいとする者を抹殺する」と捉える。まさしくその指摘通りであろう。日本の過去への省察、反省、謝罪などという言葉が社会から消え去り、あふれかえっているのは、好戦的な論調ばかりだ。
そうした日本のメディアの現状について、辺見さんは「戦後報道史上でも最悪の堕落」だと断じている。米軍の「トモダチ作戦』絶賛の異様な光景を俎上に載せながら――。
かつて吉田首相は朝鮮戦争が勃発したとき、「天祐」だと述べた。そして当時の日本は誰も彼も戦争特需で儲けることができる、ビジネスチャンスだと大喜びした。今回の震災に際して米国は、同盟国の苦難というのが、米国にとってのひとつの失地回復のチャンスととらえて、作戦計画を練った。ルース大使は首相より早く石巻に行き、被災者をハグした。それを米国と米軍=善と日本のメディアは、米国の狙い通りに報道した。震災前から引きずっていた普天間問題、ケビン・メア米国務省日本部長の一連の無神経発言などによる悪影響が、トモダチ作戦によって一新され、まさしく日米軍備強化路線を唱える人々にとっては「天祐」だったと。
さらに辺見氏は指摘する。北のミサイルが沖縄に飛んでくるというようなことを一斉に流し、普天間問題からみんな視線、注意をそらされる。世論はいま巧みに操られ、誘導されていると。「マスコミはしきりに当局のお先棒を担いでいる。メディアは住民側に立った監視役ではなく、権力に飼いならされた権力のためのウォッチ・ドッグ(番犬)になりさがった」と警鐘を鳴らす。そして、今後ますます「メディアが戦争をつくる。戦争がメディアをつくる」状況が進むと指摘する。
権力とメディアが握手するばかりの日本のメディア。権力と権力の意を体した「言論テロリズム」が横行する寒々とした風景を抉る鮮やかなペンの力に一条の光を見出す。
(朴日粉)