岡山・津山市朝・日友好親善訪問団植樹10周年でレセプション
2012年10月27日 13:28 主要ニュース民間外交のモデルとして
「津山市朝・日友好親善訪問団植樹10周年記念レセプション」が20日、総聯岡山・美作支部会館(津山市)で行われ、同胞、日本人士らが参加した。
1959年から始まった祖国帰国事業で津山を中心とする岡山の県北地域からも多くの同胞が祖国に帰った。
同胞たちは帰国するにあったって、旧市役所の前や津山城二ノ丸の前にメタセコイヤ(朝鮮杉)を植えた。しかし、10年前の2002年、津山城鶴山公園の櫓の改修工事に伴い、津山市側から総聯支部の呉載元委員長(当時、故人)に伐採の依頼があった。
当時津山市議会議長を務め、後に植樹訪問団団長を務めた秋山幸則さんは、故呉委員長が1959年当時の植樹の写真を見ながら「どうしても伐採せにゃならんのか!」と涙ながらに訴えたことを回想し、必ず挿し木をして朝鮮に植樹することを約束したのが訪朝団を結成するきっかけになったと回想した。
そして、折しも、小泉首相訪朝後の朝鮮バッシングが吹き荒れる中、朝・日関係が悪化しているときにこそ帰国者たちが1959年に植樹した想いを大切にし、朝・日友好が未来永劫続くようにしなければならないと、伐採の許可をくれた故呉委員長のことが忘れられないと話した。
答礼のあいさつに立った総聯岡山県本部の朴忠吉副委員長は、津山市の植樹訪問団の10周年の記念レセプションが非常に意義深いものだとして、10年前の今日(10月20日)、錦壽山樹木園にメタセコイヤを植樹したことは朝・日友好と津山市の歴史に残る事業だったと報告した。
宮地昭範津山市長は、10年前は自分も教育委員会に在籍していたので当時のことをよく記憶しているとし、1日も早い日朝国交正常化を願うと述べ、宴会では自慢の歌声を披露した。
朝鮮対外文化連絡協会の祝辞が紹介された後、故呉載元委員長の夫人である曺必魯氏が津山市福祉事業に寄付金を贈呈した。
岡山県商工会の馬福龍顧問が祝杯の音頭を取った。洪隆男会長は先達のすばらしい事業に思いを馳せ、日本の友人にねぎらいの言葉をかけた。
また、林成信・元総聯支部委員長が津山市との友好の歴史について述べた。
宴会では参加者一人一人が自己紹介と朝・日友好に対する思いを述べ、「日本と南北朝鮮との友好を進める会」の森本栄事務局長が、今年の4月に金日成主席生誕100周年を記念して第12回目の訪朝団を超党派で実現した経過と訪朝の様子について報告。日中国交正常化の礎として大きく貢献した岡山が、日朝国交正常化でも民間外交のモデルとして岡山方式を確立し、全国に広め、今の閉塞感を打開していこうと力強く訴えた。
最後に津山市教育委員会の田村芳倫教育長が閉会のあいさつをした。
朝・日平壌宣言10周年を迎えた今年、日本の世論は朝・日友好どころか反隣国の国策に揺れ、在日同胞に対する差別的政策はその牙と爪をむき出しにしている。
そんな中でも良識的な日本人が岡山の津山の地にいて、在日同胞を勇気づけてくれるばかりか朝・日友好の熱い炎をもやしメタセコイヤの樹を煌々と照らしている。
【岡山支局】