「日朝問題やってこそ一人前」/長野県民会議 伊藤晃二会長
2012年09月10日 16:06 主要ニュース先達たちの背中を追いかけ
「労働組合の運動をやるからには、日朝問題に取り組んでこそ一人前だ」――。日朝長野県民会議の創設から長きにわたり、代表委員として中心的役割を果たしてきた土屋途汝夫(つちやみちなお)さん(故人)の口癖だった。伊藤晃二会長が背中を追い続けた先輩だった。
清水勇前会長からバトンを渡されたのは、2009年。伊藤会長にとって日朝問題は、「日本人自身の問題だ」。隣国との関係改善という意味以上に、戦後日本の民主主義の進度を図るバロメーターだった。
それは今も変わらない。過去を直視し罪科を清算することに始まり、マイノリティーである在日朝鮮人という社会的弱者の権利擁護、そして同じ日本社会の構成員として違いを尊重し合いながらも共に生きること。「日朝問題は日本国内のすべての問題につながっていると言っても過言でない」。だからこそ「日本人のためにこの問題に取り組んでいる」。
日朝長野県民会議結成(1978年)の翌年6月、第1次訪朝団のメンバーとして、初めて朝鮮を訪れた。30代前半。北京の朝鮮大使館でビザを受け取り、空路平壌に降り立った。
2週間の滞在期間中、「整然と整理された町並みと道行く人々の希望と確信に満ちた姿を見た時、なぜか言い知れぬ感動に包まれたことを昨日のことのように覚えている」。それだけではなかった。朝鮮分断の最前線、板門店にも足を伸ばした。銃声なき戦争が続く現実を目の当たりにした。
伊藤会長にとって、この初訪朝が日朝問題に本気で取り組む大きなターニングポイントになったという。あれから30年が経った。今年4月、金日成主席生誕100周年の熱気に包まれた平壌を5年ぶりに訪れた。県民会議17次訪朝団の名誉団長に名を置きながら、同時期の「金日成主席生誕100周年記念日本準備委員会」の一員としてだ。自身4回目の訪朝だった。着実に前進する朝鮮の姿をしっかりと見た。
今回の訪朝中、伊藤会長に朝鮮の「国際親善2級勲章」が授与された。「私個人ではなく県民会議のこれまでの活動に対するもの」。長野での地道な取り組みに対する評価は、朝鮮国内でも高い。これまで1級を含め国際親善勲章が授与された県民会議メンバーが7人いる事実が、それを物語る。
「恥知るべき」
国会議員、地方自治体首長らの口から最近、日本と朝鮮半島の近代史を歪曲する発言が相次いでいる。強制連行、従軍慰安婦、独島問題…。
伊藤会長は、近代史としっかりと向き合うことなく日本の教育が行われてきたことに、大きな責任があると考えている。「都合が悪いことは、見て見ぬふりを続けてきた。歴史が捻じ曲げられている」。
植民地支配の残滓は、今も色濃い。強制的に、または生きる道を求めて日本に渡った朝鮮人の子孫たちが民族のアイデンティティを育む朝鮮学校には、いまだ「高校無償化」が適用されていない。国家権力の刃が向けられた朝鮮の子どもたちの心情を思うと、胸が張り裂けそうになる。「『平等』の精神があれば、これほど差別的なことをできるはずがない。日本人はそのことの恥を自覚するべきだ。何よりもまず日本人は、なぜ朝鮮人が日本にこれほど多く暮らしているのかを考えなければならない。(「高校無償化」は)日本の責任として、日本人が解決しなければならない問題だ」。
今年4月、県民会議では「東アジアと日本、日本人」をテーマに、雑誌「世界」(岩波書店)前編集長の岡本厚さんと信濃毎日新聞主筆の中馬清福さんの対談を企画した。会場の松本勤労者福祉センターは聴衆で埋まった。対談では、歴史認識と日本人のアジア観、沖縄日米安保とアジア、日本と朝鮮半島との未来などが語られた。真しに耳を傾ける人たちの姿から、日本が歴史的視座に立ってアジア諸国と未来を創造していくことの重要性をあらためて感じた。
だからこそ、平壌宣言の履行が大切だと伊藤会長は話す。「平壌宣言は立派なものだ。日本がやるべきことが明記されている。何があろうと、平壌宣言は決して消えない。日本は、日本がするべきことをしっかりと履行しなければならない」。
長野県から発信し続けられる日朝友好の揺ぎない意思。伊藤会長の視線の先にあるのは、日朝が互いの違いを尊重し合い、自由に行き来し、そして在日朝鮮人が日本社会を構成する隣人として、共に生きている社会だ。
(鄭茂憲)