〈取材ノート〉母校で感じたこと
2012年06月01日 15:40 コラム先日、10数年ぶりに母校の北大阪朝鮮初中級学校を訪ねた。同校の保護者会、北大阪地域青商会、朝青東淀川支部が企画した「コッポンオリフェスタ」(4月29日)のイベントには、多くの日本市民が駆けつけていた。
同校の日本市民との交流は、児童たちの部活動の交流から始まり、親へと拡がっていったという。生徒たちは近隣にある東淀川中学の文化祭で、朝鮮の民話を題材にした劇に合同で挑戦したり、保護者らは東淀川区PTA協議会の行うさまざまな交流イベントにも参加してきた。
この日、同校と交流を深めてきた日本市民が、同胞社会を指して「家族のようなあたたかさがある」と感想を漏らした。その言葉がいまも胸に残っている。
各地で日本市民が朝鮮学校、在日朝鮮人と交流を持とうとしている「事実」がある。
いま朝鮮高校に無償化適用を求める運動の中枢で「私たちの問題だ」として日本政府に働きかけているのは日本の市民たちだ。
日本のメディアが報じない在日朝鮮人と日本人の心あたたまる交流を、より多くの人に知ってほしい。そして自分の目で見て確かめてほしい。
「よく知りもしないのに恐れるのはおかしい」と、その日本市民は話す。
違いを認め合い共に生きること。平和な世の中を実現していくためのとてもシンプルな答えだと思う。平和は歩いてこない。お互いが歩みよって実現される。
隣人を恐れるか、友となるかはその人の心に懸かっているということを、母校で学べた。
ささやかな平和への思いが育まれている母校が、幼かった頃に見た母校に比べ、一層いとおしく見えた。(辰)