平壌で考えた植民地支配の歴史/水野直樹
2012年06月28日 15:05 主要ニュース 文化・歴史交流の再開こそ、解決の第一歩
車が増え、タクシーも走っている。道行く人を見ると、歩きながら携帯電話で誰かと話している人、カラフルな服を着た女性の姿も目につく。「ずいぶん変わったな」というのが10年ぶりに平壌を訪問した第一印象である。
日朝友好京都ネットの学術交流訪朝団の一員として平壌に入ったのは、4月28日。5月5日までの7泊8日の滞在である。訪朝団は総勢58人、「考古学・古代史」「近現代史」「思想文化」「国際関係」などのチームに分かれて、それぞれの目的に沿って訪問・見学、交流行事などのスケジュールを立てて行動した。
「近現代史」チームの代表を務めた私は、朝鮮近現代史に関わる訪問・見学先などを、受け入れ機関である対外文化連絡協会に提出していた。当初のスケジュールでは、私たちの要望は半分ほどしか入っていなかったが、最終的には見たいと思っていたこと、交流したいと考えていたことのほとんどが実現した。
朝鮮の当局が社会や文化のすべてを外部の人間に見せることにしたとまでは考えられないとしても、以前に比べると変化が表れているように感じた。訪朝団のメンバーが平壌市内を散歩したいと言ったところ、毎朝7時にホテルロビーに集合して市内散歩をするということにもなった。