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〈朝鮮との交流25年を振り返って 2〉伊藤利光

2012年05月16日 12:04 主要ニュース 朝鮮半島

 金日成主席生誕100周年記念祭典」に参加して

4月10日より17日までの8日間、朝鮮対外文化連絡協会(対文協)の招待で、平壌で開かれた太陽節記念行事「金日成主席生誕100周年記念祭典」に参加した。参加国は世界60数カ国で、われわれのグループは3百数十人の規模であった。私は四半世紀にわたり、高句麗文化に興味を引かれ、朝鮮との交流に務めてきた。高句麗の文化遺産といえば、古墳壁画。勇壮かつ叙情的な騎馬民族の気風がそこには顕著に表現されている。中でも四神図は高句麗芸術の圧巻。雄々しく駆ける白虎。気炎を吐く青龍。今にも飛び立たんばかりの朱雀、そして玄武…。こうした力強さ、気概あふれる壮大な美や感性が、今回の「100周年記念祭典」のさまざまな行事の中に受け継がれていると思った。私が参加した主な行事は朝鮮統一支持のための国際会議、100周年記念祭典、金日成主席、金正日総書記の銅像除幕式、慶祝閲兵式などだ。特に革命の拠点となった2,750mの白頭山の三池淵まで案内されことが印象深い。中国国境に位置する白頭山は1日に7回以上も気象が変化するといわれているが、案の定、当日は吹雪となり、4時間以上、足止めされたりもした。

勇壮さ、迫力に驚く

4月15日、金日成広場で開かれた慶祝閲兵式は芸術、スポーツの要素が色濃いマスゲームとは異なり、その迫力に圧倒された。軍楽隊だけでも陸海空三軍あわせて約1,500人で構成されていて、音楽のジャンルだけでも一見の価値があるだろう。ここに、金正恩第1委員長が若々しい姿を見せたときには、数万人で埋め尽くされた広場にどよめきが広がった。演説も20分以上に及び、歴史的な場面に立ち会ったという満足感を覚えたものだった。米国一辺倒の日本にとって、朝鮮は驚くべき国だとつくづく思った。

しかし、日本に帰ってきて、この間の新聞・テレビの朝鮮報道のひどさを知って、愕然とする思いだった。隣国に対する思い込みからくる偏見、根拠のない誹謗中傷、デタラメ…。私は日本の北への経済制裁の効力はないとみている。昨年度の朝鮮の経済指数は歳出8%、歳入10%、軍事費15%いずれも伸びている。ただし、日本政府の在日朝鮮人に対する経済的な圧迫は無視できない。弱い者いじめそのものである。

朝鮮は孤立せず

 

朝鮮は孤立していない。その理由の一つは諸外国や南との経済交流である。南についていえば、李明博政権は朝鮮と対立を深めているが、実は民間の経済交流は続けられている。開城に設置された工業団地の売り上げは貿易額の5%を超え、総額では30%以上を占めているといわれている。緊張状態にあっても、人的交流も年間10万人以上である。民意は実のところ友好を望んでいるようだ。しかも朝鮮の労働力は捨てがたい。勤勉で、頑健で、教育レベルが高い2,600万人の人口を有するのが朝鮮である。日本は政府もメディアもその現実を直視するべきだろう。

拉致問題は金正日総書記と小泉総理との間で交わされた平壌宣言で解決したことになっている。両国のトップが握手した結果が何も残らないのは不思議である。日本国には総理大臣の権威がないのであろうか。それ以後の各総理の在位年数はわずか10カ月だという。小なりといえども政治家のトップに力があれば、国の地位は低下しない。いよいよ米国の威信にも陰りが見えてきた。中国も国内の覇権争いが激化しつつある。

中国・清華大学大の国際関係研究院長閻学通(やんしゅえとん)氏によれば西洋型民主主義は自由選挙と表現の自由さえあれば、たとえそれが混乱や貧富の差や民族間の衝突を生んだとしてもかまわない、結果よりもプロセスを重視する。しかし、王道は結果を重視する。中国も朝鮮も一党独裁で社会主義の枠組みを堅持するとしている。中国では孟子、老子、荀子ら中国古代の賢人らは中国には3つ、即ち「専制」と「覇権」と「王道」の3つのリーダーシップがある。「専制」は圧倒的な軍事力で世界の秩序を維持しようとする。「覇権」は軍事力と同盟関係の拡大で世界に影響力を行使していく。今の米国がこのタイプ。古代の賢者が最適な道と考えたのは孟子が唱えた「王道」だ。わかりやすく言えば「人徳のある権威」だ。「王道」とは軍事力と道徳規範の2つで指導力を発揮するという。。(閻学通氏「世界を語る 国際秩序乱の時代」=日本経済新聞4月4日付より一部引用)

折りしも、閲兵式で行った演説のなかで、第1委員長は人々と「運命を共にする戦士であり続ける」と力強く述べた。私は、朝鮮のニューリーダー、金正恩第1委員長が金日成主席と金正日総書記によって切り開かれた「王道」を力強く歩むよう期待し、見守りたいと考えている。

(高句麗会会長)

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