〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 20〉「聖王」世宗大王の后
2010年09月10日 00:00 文化・歴史宮中でサバイバル-昭憲王后沈氏

「交泰殿」(王妃の寝殿)
偉大な夫
朝鮮王朝時代の文化的成果はすべて、第4代王世宗王の治世時に得られたものだといっても過言ではない。集賢殿を通じた数多くの人材の輩出、儒教政治の基盤となる儀礼制度の整備、多様でぼう大な編さん事業、訓民正音の創出と普及、農業と科学技術の発展、医療技術と音楽、芸術および法整備、国土の拡張など数えればきりがない治績である。
昭憲王后沈氏(1395~1446)はそんな世宗との間に8男2女をもうけ、うち2人は王位を継ぐなど傍目には幸せな后の代表のように伝えられることが多い。また、世宗の8人の側室に嫉妬することなく、その子ら10男2女をわが子のように慈しんだとも伝わる。「婦徳」の体現者だとする野史もある。
だがその一生は、他の后や側室たちと同様、苦しみと痛みに満ちていたのである。だが彼女は、嫉妬や虚栄心などに囚われず、宮中での生き残りを賭けて、ありったけの忍耐と知恵を絞るのである。
世宗は后を亡くした後、昭憲王后沈氏の死を次のように悼んでいる。
「心に険がなく、邪な気持ちで私的な謁見を求める非もなく(中略)五福をともにしようと思っていたが、なぜ急に中年にして永訣せねばならぬのだ」
(心無險陂私謁之非〈中略〉謂共享於五福、何奄訣於中年)
(朝鮮王朝実録 世宗28年〈1446年6月23日〉)