〈遺骨は叫ぶ 7〉釜石鉱山・被災の実態不明、行政が調査すべき
2007年08月27日 00:00 歴史落盤事故、さらに連合軍艦砲射撃の犠牲に
秋田県北の山村に生まれた筆者は、小学校が国民学校に改称された1941年に学校へ入学し、戦時教育を受けて成長した。日本が敗戦になる直前の45年7月14日、突然東の方からものすごい爆音が続けざまに聞こえてくると、庭の柿や桐の木が大きく揺れた。家に入ると、ガラス窓が震え、柱がぎしぎしと音を立てた。太平洋側の釜石市が、連合国艦隊に艦砲射撃を受けたのを数日後に知ったが、直接戦場の体験がない筆者には、戦時の原点の一つ。時々釜石市に原点を訪ねて行っているが、今年も8月上旬に行き、朝鮮人連行者の足跡を歩いた。
JR釜石線釜石駅から約15キロほど山間部に入った釜石市甲子町に、日鉄鉱業釜石鉱業所(釜石鉱山)があった。
日本で最初に洋式高炉により製鉄に成功した鉱山だが、現在は閉山となり、廃鉱から湧く水をボトルに詰めて発売している。戦時中は、国内の数少ない鉄鉱石産出鉱山として、増産に次ぐ増産をおこなった。