〈日本政府の大罪・遺骨は語る 13〉茨城・平和台霊園
2005年08月16日 00:00 主要ニュース日本有数の工業地帯として発展した茨城県日立市。太平洋戦争末期、軍需産業の拠点の一つであった同市は、爆撃、艦砲射撃、焼夷弾攻撃にみまわれた。全市街地の約7割が焦土と化し、壊滅的な打撃を受け、1500人を超える市民の命が奪われた。
その中には、1939年から「募集」によって日本に連れて来られ労働を強いられた朝鮮人も含まれている。
茨城県の数ある強制連行事業所(羽田精機竜ヶ崎工場、日立鉱山、神崎組、鷹峰鉱山、常磐南部炭田、常磐炭鉱石岡鉱業、東邦炭鉱、日立製作所水戸工場、日本通運土浦支店など)の中でも、日立鉱山には4~5000人が連行され、6~700人が犠牲となった。ほとんどが無縁仏になっている。日立鉱山側が艦砲射撃などを口実に名簿を紛失したと主張したためだ。