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〈東京・祐天寺、遺骨名簿調査報告書 3〉遺骨の返還と責任者の処罰を

2005年06月16日 00:00 主要ニュース

われわれは今回、祐天寺にある朝鮮人強制連行犠牲者遺骨名簿を通じて確かめた犠牲者を2003年末に公開された朝鮮人強制連行犠牲者に関する42万余人の名簿から探してみた。

犠牲者キム・ジョンピョは「被徴用死亡者(陸軍)咸鏡北道」名簿の7番に、キム・ヒスは「被徴用死亡者(陸軍)咸鏡南道」名簿の141番に、キム・ミョンハクは172番に、リム・チャンボは201番に各々名前が記入されていた。また、「被徴用死亡者(海軍)咸鏡南道」名簿の92番にキム・ウルギョン、21番にキム・ギルスン、「被徴用死亡者(海軍)平安南道」名簿の188番にキム・リョンギュンの名前が記入されていた。

この名簿には、犠牲者の名前と生年月日、本籍地、所属部隊、死亡年月日、死因、死亡場所、家族関係などが記されている。この名簿に記入された7人を分析調査した結果、次のような事実が確認された。

まず、犠牲当時の年齢を見ると、20歳が1人、21歳が2人、23歳が1人、27歳が1人、30歳が1人、33歳が1人で大部分が20代の青年たちであった。そして、その時期を見ると1943年に2人、1944年に1人、1945年に4人で、1945年にもっとも多くの人が犠牲になった。また、その場所を見ると、日本で1人、セレベス島で1人、ソロモン諸島で1人、ギルバート諸島タラワで1人、ナウルで1人、中国で1人、ミャンマーで1人が犠牲になった。そのうちの3人がマラリア、ジフテリアなどの疾病と栄養失調で死亡し、残りの4人は「戦病死」「戦死」となっているだけで、死因さえ記されていなかった。

このような事実は、日帝が太平洋戦争末期に20代前後の数多くの朝鮮青壮年を「軍人」「軍属」として大々的に強制徴発して日帝侵略軍の足が行き届くすべての地域に弾よけ、労働奴隷として駆り出し、無残に殺したということを立証している。

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