訓民正音や測雨器、亀甲船 朝鮮(1392年~1910年)はおよそ500年間続いた王朝である。「威化島回軍」を機に実権を握った李成桂は、高麗最後の王である恭譲王を追放し王位に就いた。そして国号を朝鮮と改 [...]…
統一国家、高麗の展示物 高麗(918年~1392年)は朝鮮史上初の統一王朝である。開国当初は鉄原に都があったが、919年に開京(今の開城)に遷されている。現在の朝鮮を「コリア」と呼ぶのはこの高麗に由来 [...]…
海東の盛国、渤海の展示物 渤海(698年~926年)は朝鮮半島北部と中国東北部、そしてロシア沿海地方にあった国である。渤海と同じ時代の朝鮮半島南部には新羅があった。渤海と新羅が南北に並立したこの時代を [...]…
百済、新羅、伽耶の展示物 前回までは朝鮮の三国時代の中で、高句麗の展示物について古墳壁画を中心に紹介してきた。今回は高句麗の南方で興った百済や新羅、そして伽耶諸国にまつわる展示物について見ることにしよ [...]…
高句麗の始祖王、高朱蒙の墓 高句麗は朝鮮三国のなかで最も高い文化水準を誇った国である。高句麗文化が三国時代のほかの国々に与えた影響は多大なものがあったといえる。またその文化は海を越えた古 [...]…
東西南北、四方を護る神獣たち 高句麗の古墳壁画には四神図も描かれている。四神とは、四方をつかさどる想像上の神獣で、東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武の総称である。高句麗では5~6世紀頃から人物風俗 [...]…
高句麗人の衣・食・住 高句麗の古墳壁画からは当時の生活模様も見てとれる。たとえば彼らがどのような衣服をまとい、どんなものを食べ、どのような家屋に住み生活したのかなどである。前号に引き続き今回も高句麗人 [...]…
高句麗人の暮らしを描く 高句麗の人々はどのような生活をしていたのであろうか。 誰もが持つ素朴な疑問ではあるが、これに答えるとなるとなかなか難しいと思う。今から千数百年も前のことだから仕方がないのかもし [...]…
大展示室のなかでひときわ目立つものが徳興里壁画古墳の原寸大模型である。1976年に南浦市江西区域徳興里で発見されたこの古墳は、著名な高句麗壁画古墳のひとつといえる。余談ではあるがこの古墳は、発掘者の考 [...]…
高句麗文化の真髄伝える 当館を訪れる人々から好評を得ている展示物が、80余点におよぶ高句麗古墳壁画である。これは、高句麗貴族が遺した墳墓の石室に描かれた壁画を原寸大に模写したものだ。当館が所蔵する壁画 [...]…