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作文指導の経験を分かち合う/中高国語教員講習で

夏休みに開かれた中高国語教員講習では、本社主催の「コッソンイ」作文コンクールで好成績を収めた生徒たちの、作文や詩を指導してきた、教員たちの経験発表が行われた。その内容を紹介する。(金潤順)

初稿と推敲した原稿を見比べる

「具体的な一点」に集中/白明姫教員(東京中高)

学校生活を送るの中で「特別な体験」について作文を書ける生徒はわずかしかいない。大半は学級生活、クラブ活動、家族 など平凡なものをテーマに選ぶ。最初に生徒たちが提出した作文は、日記のようなものが目立つ。その中でその子だけの発見や、経験、感動、思考がキラリと光る作品に出会うことがある。それらにより磨きをかけるよう働きかけるのが教員の務めではないだろうか。

作文を置いて、生徒と向き合い、具体的に話を聞いてみる。話の中から伏線やエピソードを探り出す。その過程に生徒自身が作文には書かなかったことを思い出し、書き直す意欲を見せる。

作文で1世の祖父母から聞いた、自分が知らなかった話について書いた生徒には、ノートを持って取材に行くことを勧めている。祖国訪問時のできごとについて書いた作品では、その子だけの特別な思いを綴ったものに限定してコッソンイ作文コンクールに応募している。

生徒たちは、あったできごとをずらずらと書き並べてしまう傾向があるため、「具体的な一点に集中」して書くよう指導している。例えば、「写真」「約束」「1度も試合に出られなかったクラブ活動」についてなど。

作文指導を通して、子どもの生活に目を向けること、話を聞いてあげること、子どもの思いや喜びを形に残すことができる。

完成までの過程が教育/張仁紀教員(東北初中)

子どもたちの中にはいろんな経験の持ち主がいる。

前回の「コッソンイ」入賞者のある生徒は、朝鮮学校と日本学校を行き来した経歴を持っていた。彼と作文のテーマについて話し合う中で、ウリハッキョに復学して嬉しかったこと、逆に辛かったことのうち、「ウリマル」と「国語の授業」が大変だっとの思いに触れることができた。素材はそれに決定。

生徒とメモを取りながら、まずは体験したこと、感じたことを書き出していった。次にそのメモを基に文を書かせた。そして、その文を基に詩を書かせた。

重複する内容を取捨選択し、反復法、対句法など詩の表現技法を取り入れるよう指導した。そうしてできあがった詩を「コッソンイ」作文コンクールの応募作品として、この生徒を直接知らない第三者が見てもわかるよう、さらに推敲を重ねた。

この詩を完成させるまでの間に、生徒から「ウリマルについて疲れる、嫌だと書いても良いのか?」と度々聞かれた。作文は完成させるまでの過程が教育だ。生徒の問いかけは、話し合い、考えを深めるきっかけになると考えた。

作文指導では、生徒の気持ちにとことん寄り添うこと、生徒自身が自分と向き合い内面を言葉で表現できるよう助言すること、「他人(読者)」を意識して作品を仕上げること、生徒の正直な思いを摘まないことを心がけた。

嫌い克服の道筋を立てる/羅裕貴教員(長野初中)

自分自身の学生時代を振り返って、生徒たちが作文を嫌う理由について分析してみた。

その理由は、①書きたい内容がない、②どう書いたら良いのかわからない、③書こうと思っても上手く書けないというものだった。

作文を書くとき、生徒たちは行事などの「できごと」から入ろうとしがちだが、それを「私だけが感動したこと」を中心に書くよう指導した。

過去のコッソンイ入賞作品の中には「誕生日プレゼント」「トイレ掃除」など「私だけの思い」を表現したユニークな作品がある。生徒たちは皆、最初は難しそうにしていたが、それらの作品を手本に「自分だけの発見」について書いてみるよう促した。

多くの生徒がはじめは日記のような文を書くため、異なる2つの文を見比べて、どちらが面白いか、なぜ面白いと感じるのか、生徒たちに考えさせた。面白いと感じる文は、前後を替えていたり、知りたいこと、結論から先に書いていたりされていた。そのことに気づいた生徒たちは、想像力が膨らむ書き方をしてみようと工夫した。

推敲では、生活とかけ離れたもの、飛躍しすぎたものに関しては指摘し、生徒本人と教員がきちんと向き合って、最終的には一つの単語、文章についてもより良いものを考えるよう努めた。

授業とのタイアップ/高琴美教員(茨城初中高)

生徒に作文や詩を書かせるタイミングは、国語の授業で「エッセイ」や「抒情詩」について学んだときだ。同時に生徒たちが教科書以外のお手本となる作品に触れられるよう、「コッソンイ」の文集や詩誌「チョンソリ」、ホームページ「ウリ民族同士」にある「青年文学」などの作品も読ませ、朝鮮語の作文や詩のイメージをつかめるよう工夫した。

教員が生徒の作文の読者になって、表現が適切か、飛躍がないかをチェックし、誰が、いつ、どこで、何をしたかを具体的に、いきいきと、さらには筆者の思いが伝わるように書くことを指導した。

「嬉しい」「有り難い」など、単純な一言で終わっている部分については、なぜそう思ったのか? その時の状況はどうだったのか? それと似た経験はあるのか? その後の自分自身の行動に変化があったのか?などを掘り下げて考え、表現するようにした。

作文指導で心がけているのは、生徒の作品を批判しないということ。わが校では「コッソンイ」作文コンクール全員応募を目標に、時間がかかっても一人ひとりと教員が向き合い、完成に向けて何度も話し合いを重ねながら作文を仕上げている。

授業とのタイアップと推敲、完成した作文の学級内発表、生徒たちによる投票、合評というのがわが校の取り組みである。

「コッソンイ」がもたらした変化/殷日洙教員(神奈川中高)

数年前、ある生徒が詩の部門で1等を取った。

ベランダを心の故郷だと表現したその詩が朝鮮新報で紹介されたとき、短評に「今日の民族教育がそのまますべてここに込められている」と過分な評価が書かれていた。

その子はそれを機に書くことが好きになった。翌年、「コッソンイ」の文集が出ると、その子が別の子の作品を評価するようになった。それを見た私は「コッソンイ」が、子どもが輝ける場になればと思うようになった。子どもが自分の作品を好きになるように指導しなければとも。

それで、同じ子ばかりがいつも応募するのではなく、全員が関心を持つ「コッソンイ」にしていこうと取り組みはじめた。

「コッソンイ」の応募を通して、子どもが作文を好きになるよう、自分の作品を好きになるよう、全員応募を目指して取り組んだ。

最近では授業中に「コッソンイ」の応募作品を発表をさせる。発表方法は生徒に任せている。読み方、BGM、振り付けなど、どんどん盛り上がる。合評もして、廊下にも作品を張り出した。私も一人ひとりの作品に対するコメントを述べた。

次第に生徒がコッソンイの入選を心待ちにするようになってきた。誰の、どの作品が選ばれるのかと。

「コッソンイ」は単純に応募するだけのものではなく、その過程を通して楽しみ、成長できるものだ。