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〈特集・ウリハッキョの今〉大阪第4初級/朝鮮人の根をしっかり張る拠点

同胞たちが密集して暮らす大阪市生野区。そこのコリアタウンのすぐ隣に位置する大阪第4初級(園児、児童数99人)は今年、6月11日に創立70周年を迎えた。

現在の大阪第4初級の園児、児童、教職員

現在の大阪第4初級の園児、児童、教職員

同胞の工場から

大阪第4初級の前身は「朝聯生野第10ウリ学校」(児童数は120余人。教員数は8人)。鶴桃南2分会の玄奉朝氏の工場で1946年6月11日に開校。創立1周年を機に新校舎を建て「御幸森朝鮮小学校」に改称した(建設委員長の玄奉朝氏が初代教育会長。康石柱氏が1949年に初代校長に就任)。

当時、生野区には10校の朝鮮学校があった。そのうちの「朝聯生野第1ウリ学校」と「朝聯生野第9ウリ学校」も同校の歴史の一部となっている。

48年4月、GHQと日本政府による「学校閉鎖令」に伴い、「4.24阪神教育闘争」が起き、子どもから大人まで、多くの同胞たちが学校を守った。

「『(学校に)足を踏み入れるなら、私を踏んでから入りな!』と警官と向き合った同胞」がいたと振り返るのは、当時「鶴橋朝鮮小学校」3年生だった女性同盟生野西支部の姜善和顧問(75)。「教員たちが逮捕されたのを見て、6年生の先輩たちが自主的にデモ行進を行った。すると6年生のオンニたち2人が逮捕されて2日間拘束されてしまった。それでもその2人は、釈放された直後にも学校を再建しようと周りに呼びかけていた。その姿に当時3年生だった私も涙した記憶が今も残る」と、熾烈をきわめた闘争のようすを語ってくれた。

49年10月19日に発令された第2次「学校閉鎖令」の後でも、同胞たちは自主的に夜間学校を運営。また、農楽隊を編成し、御幸森、鶴橋地域の同胞たちに学校再建を強く呼びかけ、学校増築のためにお金を集めた。

そして同胞たちのたたかいにより、54年4月に御幸森朝鮮小学校が再建(児童数200余人)。55年3月、再建第1期生として卒業した後、大阪府内の朝鮮学校で17年間教員を務めた康文正さん(75)は、「雨の日は雨漏りがすごくて落ちてくる水滴をよけるため、机を動かしながら授業を受けたくらいボロボロだった。でも、きれいに使おうと、みんなで窓拭きをしたのが、今でも楽しい学校生活の思い出だ」と懐かしみ、「ウリハッキョはなくてはならない」と語った。大阪第4 3_R

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