〈本の紹介〉「東京電力」研究、排除の系譜 / 斎藤貴男著
2012年08月13日 13:57 文化・歴史「暴走」にストップをかけ、脱原発急げ
「我々はなぜ、原発を選んだのか。なぜ、巨大企業の支配を望んできたのか? 3.11が暴いたノーリスク・ハイリターン体質。この国の本質が初めて明らかになる! 米国への一方的従属。管理・監視の自己目的化。そして分割・民営化の先駆『東京電力』その本質! この国の本質に関わる酷評のことごとくを、東電という企業体と、同社が運営する原発という存在は見事なほどに体現し、私たちに突きつけている」(本文より) 東京電力をめぐる断片的な報道は、大量に流されている。そこに決定版とも言える企業研究として、本書は刊行された。 脱原発か原発再稼働か。夏を迎えて電力をめぐる議論が過熱しているが、斎藤氏は「何よりもまず必要なのは、『脱被曝』ではないか」と訴える。
経済記者としてジャーナリスト活動を始めた斎藤氏は、かつて記者のインタビューに答えてこう述べたことがある。
「理想のジャーナリスト像からすると、僕は2軍の補欠のような存在だと思う。新卒で偶然受かった保守系メディアに入社したものの、3年で辞めた。デスクに呼び捨てにされたり、やりたくもない仕事を命じられただけで頭にきた。大きな組織に所属していること自体が嫌なのだと気づくまでに、それほどの時間はかからなかった」
この独立独歩の心意気が、フリーの仕事を支える気骨となった。時代は逆風の嵐が吹き始めた90年代。金持ち優遇、新自由主義の暴論が台頭。戦後日本の骨格を根本から覆す日米新ガイドライン、国旗・国歌法、盗聴法、住民基本台帳ネット法などの国家主義的な政治の潮流が社会を席巻し始めた。大新聞などのマスメディア、言論人などは批判の牙を抜かれ、今ではまるで翼賛体制ができあがったかのような状態である。
「それが私にとってはブラックユーモア風に言うと追い風だったかも。取材先で彼らと同じことを聞いても、彼らは記事にしない。私は記事にする。だから目立つ。困った風潮ですよ」と笑い飛ばしていた。
監視社会や格差社会、最近では消費税増税に厳しい批判を浴びせている斎藤氏は、それだからこそ、陰湿な嫌がらせや圧力にさらされ続けてきた。権力におもねる書き手たちが跋扈して恥じない日本社会。一方で組織に属さず、単身で取材を重ねていく斎藤氏に、世間の風当たりは強かった。「反権力」イコール「反日」であり、少数意見は排除せよ、という潮流が日本を覆う。匿名の誹謗中傷・罵詈雑言がネット上にあふれ、「吐き気が止まらなくなった時期もある」と斎藤氏は本書で告白する。
そして今、「原発」をめぐる論議がどちらに傾くにしても、反対勢力を排除しようとする勢力が暴走したら、今度こそ取り返しのつかない事態を招くのではないか。斎藤氏はこの「暴走」にストップをかけるため全身全霊をかけて本書の取材に取り組んでいく。
原発の「安全神話」を守るため、異を唱える意見をすべて潰し、そのために安全が度外視されてしまったという逆説。その必然的な結果が福島第一原発事故という悲劇を生んだ。原子力ムラを構成してきた政治家、官僚、電力会社、学者などからなる「原子力ムラ」を基盤とした巨大権力層が、人間の尊厳を省みず、多くの人々を犠牲にする歴史を繰り返させてはならない。もうこれ以上騙されないための知恵と知識がぎっしり詰まった魂の一冊である。(粉)