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〈人物で見る朝鮮科学史 24〉新羅の科学文化(番外編)

慶州最高の教育の場 2002年11月、筆者は全北大・金根培教授の案内で新羅の古都慶州を訪れたことがある。釜山大で開催された韓国科学史学会で「科学史における近世」という題で招待講演を行った翌日のことであ…

〈人物で見る朝鮮科学史 21〉新羅の科学文化(3)

1995年に慶州吐含山の石窟庵とともに、ユネスコの世界遺産に登録されたのがその麓にある仏国寺である。仏国寺もまた新羅石造建築の粋を集めたものといえるが、とくに大雄殿につながる白雲橋と星雲橋、前庭にある…

〈人物で見る朝鮮科学史 20〉新羅の科学文化(2)

「ダ・ヴィンチ・コード」の数字の妙 世界最古の天文台といわれる瞻星台は建てられて1300年以上にもなるが、これまで一度も補修工事を行ったことがない。この事実は、当時の高い建築技術を示すものであるが、瞻…

〈人物で見る朝鮮科学史 19〉新羅の科学文化(1)

現在、朝鮮半島には2004年に登録された高句麗壁画古墳群を含めて8つの世界文化遺産がある。そのなかでもっとも多くの遺跡、遺物があるのは新羅の古都・慶州である。新羅には、紀元前57年の朴赫居世の時代から…

〈人物で見る朝鮮科学史 18〉渡来人とキトラ古墳(番外)

記述に現れる朝鮮への蔑視 古代史の研究が深まる以前まで、中国の大陸文化が朝鮮半島を経緯して伝来したといわれることが多かった。朝鮮を単なる通過点として扱い、その影響を無視しようとする根底には朝鮮への蔑視…

〈人物で見る朝鮮科学史 17〉渡来人とキトラ古墳(下)

キトラ天文図は現存する世界最古の天文図といわれているが、その原図は高句麗のものであった。すると一つの疑問が生じる。それは「天象列次分野之図」も高句麗の石刻天文図を復刻したものなのに、両者に違いがあるの…

〈人物で見る朝鮮科学史 16〉渡来人とキトラ古墳(中)

現在、日本でもっとも有名な古墳といえば、おそらく高松塚古墳とキトラ古墳である。その理由は、現時点で確認されたかぎりではあるが、壁画が描かれた古墳はこの二つしかないからである。 高松塚古墳の発掘調査が行…

〈人物で見る朝鮮科学史 15〉渡来人とキトラ古墳(上)

「文明開化」という言葉がある。普通は鎖国政策をとっていた日本が開国後、科学技術を中心とする西洋文物を積極的に取り入れ社会を進歩させた出来事と理解されている。しかし、時代を限定させなければ、その言葉が意…