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〈朝鮮民族の美76〉弥勒菩薩半跏像⑧

この半跏像と、前回紹介した金銅三山冠思惟像は、あまりに共通する要素が多く、古代における朝・日両国の文化交流について多くの話題を提供してきた。

〈朝鮮民族の美73〉滑石製如来坐像⑤

これは戦前、東大国史学科を卒業し、京大の考古学教室の副手として勤務した後、朝鮮総督府博物館慶州分館に勤務することになった斎藤忠(ただし)氏が1936年9月、百済の古都の近くにある軍守里の廃寺の塔の心礎…

〈朝鮮民族の美72〉金銅日月飾宝冠思惟像④

わが国にただ二体だけ残る三国時代後期の大型の金銅半跏思惟像の一つである。日帝の時期、「慶州のある無名の古寺で発見された」とも、「中清道の僻村の名もない寺庵で発見された」ともいわれるが、日本の骨董商によ…

〈朝鮮民族の美71〉辛卯銘 金銅無量寿三尊仏③

高句麗は長寿王の15年(427年)に鴨緑江中流の国内城(集安)から平壌に都を移し、王を中心とする中央集権制を強化するため、国のイデオロギーとして仏教を取り入れたのであった。

〈朝鮮民族の美70〉平安南道元吾里出土 塑造菩薩立像②

高句麗は北扶余から卒本扶余へ、そして国内城(通溝)へ都を移して南下した。その結果、政治的には百済、新羅ときびしく対立することになったが、文化的には両国に大きな影響を与えつづけた。

〈朝鮮民族の美69〉延嘉七年銘 金銅如来立像①

この延嘉七年銘(539年)をもつ金銅如来立像(こんどうにょらいりゅうぞう)は、現在、最古の高句麗仏とされるものである。高句麗は古代朝鮮三国の中で、早くから強大な国となり、東北アジアで、中国の諸国と肩を…

〈朝鮮民族の美68〉作者不詳「猛犬図」

この堂々たる猛犬に注目されよ。どっしりと腹ばいになり前足に頭を乗せたその眼つきは、まさに王者の貫禄である。 この絵を見て、すぐわかるのは、これまで見ることのなかった完璧な西洋画法による描号ということで…

〈朝鮮民族の美67〉張承業「豪鷲図」

吾園 張承業(1843~1897)は、朝鮮時代末期の絵画を代表する巨匠といえよう。その生涯と人柄については張志淵の「逸士遺事」の「張承業伝」によって知ることができる。彼は早く父母を失い、家が貧しく流浪…