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〈朝鮮仏教と私たち 18〉後期新羅の名僧・義湘(上)

1300年語り伝えられる浮石説話 元暁と別れた義湘はその後海路で唐に向かった(661年、37歳)。

〈朝鮮仏教と私たち 15〉渤海の仏教

高句麗の後継国、日本とも交流 渤海(698~926)は、高句麗の後継国である。高句麗と渤海のかつての領土は鴨緑江、白頭山、豆満江をすべて含んでいた。

〈朝鮮仏教と私たち 14〉日本への伝法(3)

法隆寺金堂壁画描いた曇徴 仏教は飛鳥時代(仏教伝来以降法隆寺被災の670年まで)、白鳳時代(670~710)を通じて日本全国に広がった。

〈朝鮮仏教と私たち 13〉日本への伝法(2)

飛鳥仏教への指導的役割 古代日本仏教を支えたのは百済・高句麗・新羅三国の仏教であった。そして、飛鳥仏教の成立に指導的役割を果たしたのは高句麗と百済の僧であった。

〈朝鮮仏教と私たち 12〉日本への伝法(1)

高句麗式伽藍配置の飛鳥寺 仏教が朝鮮半島に伝来した後、百済を通じて、ついで高句麗・新羅を通じて日本に仏教が伝わった。

〈朝鮮仏教と私たち 11〉伝来の意義

思想、精神的支柱に 仏教が朝鮮半島に伝来するまで、高句麗・百済・新羅・駕洛などの古代国家では神仙思想・祖上神崇拝・自然神に対する信仰が主だったものであった。

〈朝鮮仏教と私たち 10〉伽耶の仏教

三国より早い伝来か 1世紀中葉、伽耶国(42~562、慶尚道金海・咸安・咸昌・高霊・星州・固城地方にあった六伽耶の連合体)が成立したが、その歴史はいまだ解明されていない。駕洛国が成立した時期、三国の仏…

〈朝鮮仏教と私たち 9〉新羅の仏教(3)

盛んな文殊信仰 圓光(555~638)は中国に留学した高僧で、国家の重要施策についてもしばしば王から諮問を受けるほどの指導的な地位についていた。