
〈朝鮮歴史人物〉民族の建国の始祖、檀君(1)
2013年04月02日 12:47
檀君は古朝鮮を建てた建国始祖である。 今から五千年余前に檀君が平壌に都を定め、東方で初めて「朝鮮」(古朝鮮)という国を建てた。当時平壌を「プルナ」と呼んだ。 階級社会が出現し、檀君が古朝鮮を建てること…

〈朝鮮仏教と私たち 60〉人はひとりでは生きていけない(最終回)
2013年03月25日 14:35
連載を終えて 2011年5月18日から今日まで60回に亘って朝鮮仏教の歴史を掻い摘んで見てきた。慣れない名前や言葉が多くて分りづらいというお叱りをいただいた反面知らなかったことが多く資料になるので切り…

〈朝鮮仏教と私たち 59〉近代・柳宗黙
2013年03月25日 11:00
在日「仏連」の初代委員長に 国を追われ涙で越えたアリラン峠と玄界灘の荒波、「亡国の民は葬家の犬よりも惨め」だと言う言葉の通りわが同胞たちは日本全国各地の炭鉱やトンネル、鉄道、道路や建設現場で餓えと涙の…

〈朝鮮考古学に捧げた生涯-有光教一先生が遺されたもの(下)〉九州大学名誉教授・西谷正
2013年03月22日 13:57
原始・古代朝鮮の日本への影響 75年ぶりの研究成果 三韓は、早ければ3世紀中ごろ以後、百済・加耶・新羅の古代国家の成立へと向った。それに先立ち、北部では高句麗がいち早く紀元前1世紀はじめごろに国家形成…

〈朝鮮考古学に捧げた生涯-有光教一先生が遺されたもの(上)〉九州大学名誉教授・西谷正
2013年03月21日 16:20
「朝鮮考古学の祖」 有光教一先生は、1931年に大学を卒業されると、大学院生の身分のまま、24歳で朝鮮古蹟研究会、また、後に、朝鮮総督府の職員として、終戦後の1946年6月に引揚げ帰国されるまでの15…

〈歴史×状況×言葉 30〉中野重治(3)/「友情」「連帯」で覆われた加害の歴史
2013年03月11日 10:55
「彼らが私を、やはり兵隊から歸つて行く一人の日本人として、しかし信用していゝ人間として見てくれたことをその時もよろこび今もよろこんでいる」(傍線筆者)―中野重治は「四人の志願兵」において、敗戦直後、故…

〈朝鮮仏教と私たち 58〉近代・金九河
2013年03月04日 15:28
僧侶たちに独立運動参加促す 新羅第27代善徳女王(ソンドクヨワン)15年(646)慈蔵律師(チャジャンユルサ)によって創建された通度寺(トンドサ)は朝鮮の三宝寺院(サンボサチャル)の一つとして広く知ら…

〈朝鮮仏教と私たち 57〉近代・方漢岩
2013年02月25日 14:55
戦火から寺を救う 1938年10月25日ソウル市内に朝鮮仏教の総本山である太古寺(テゴサ)(現在の曹溪寺(チョゲサ))大雄殿(テウンジョン)が落成した。太古寺を建てるにあたっては朝鮮の伝統的建造物であ…

〈朝鮮仏教と私たち 56〉近代・韓龍雲(下)
2013年02月25日 14:51
「地獄で極楽を見てきた」 壬辰倭乱(インジンラン)(1592ー1597)の祖国存亡の危機に際し西山大師(ソサンデサ)や泗溟大師(サミョンデサ)が命を顧みず僧軍を率いて決死の戦いを繰広げた様に韓龍雲は西…

〈朝鮮仏教と私たち 55〉近代・韓龍雲(上)
2013年02月12日 15:37
獄中で書いた「朝鮮独立の書 韓龍雲(ハンヨンウン)(忠清南道洪城郡に生まれ、1879~1944、俗名・裕天(ユチョン)、号は萬海(マンヘ)は1908年5月から10月までの約5か月間日本に滞在し、東京や…