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〈朝鮮考古学に捧げた生涯-有光教一先生が遺されたもの(上)〉九州大学名誉教授・西谷正

「朝鮮考古学の祖」 有光教一先生は、1931年に大学を卒業されると、大学院生の身分のまま、24歳で朝鮮古蹟研究会、また、後に、朝鮮総督府の職員として、終戦後の1946年6月に引揚げ帰国されるまでの15…

〈歴史×状況×言葉 30〉中野重治(3)/「友情」「連帯」で覆われた加害の歴史

「彼らが私を、やはり兵隊から歸つて行く一人の日本人として、しかし信用していゝ人間として見てくれたことをその時もよろこび今もよろこんでいる」(傍線筆者)―中野重治は「四人の志願兵」において、敗戦直後、故…

〈朝鮮仏教と私たち 58〉近代・金九河

僧侶たちに独立運動参加促す 新羅第27代善徳女王(ソンドクヨワン)15年(646)慈蔵律師(チャジャンユルサ)によって創建された通度寺(トンドサ)は朝鮮の三宝寺院(サンボサチャル)の一つとして広く知ら…

〈朝鮮仏教と私たち 57〉近代・方漢岩

戦火から寺を救う 1938年10月25日ソウル市内に朝鮮仏教の総本山である太古寺(テゴサ)(現在の曹溪寺(チョゲサ))大雄殿(テウンジョン)が落成した。太古寺を建てるにあたっては朝鮮の伝統的建造物であ…

〈朝鮮仏教と私たち 56〉近代・韓龍雲(下)

「地獄で極楽を見てきた」 壬辰倭乱(インジンラン)(1592ー1597)の祖国存亡の危機に際し西山大師(ソサンデサ)や泗溟大師(サミョンデサ)が命を顧みず僧軍を率いて決死の戦いを繰広げた様に韓龍雲は西…

〈朝鮮仏教と私たち 55〉近代・韓龍雲(上)

獄中で書いた「朝鮮独立の書 韓龍雲(ハンヨンウン)(忠清南道洪城郡に生まれ、1879~1944、俗名・裕天(ユチョン)、号は萬海(マンヘ)は1908年5月から10月までの約5か月間日本に滞在し、東京や…

〈歴史×状況×言葉 29〉中野重治(2)/「8.15」とらえる「日本人」のねじれ

日本敗戦/朝鮮解放直後の状況下、日本の進歩的知識人中野重治と朝鮮人青年との心の交流を点描した「四人の志願兵」(「民主朝鮮」第9号、1947年3・4月)は、戦争と軍国支配からの「解放」感情の共有のもと、…

〈朝鮮仏教と私たち 54〉近代・曹溪宗の成立

「寺刹令(サチャルリョン)」の縛りを退けて 500年にわたる朝鮮王朝の仏教弾圧を受け宗派・宗名もなくしてしまった朝鮮仏教を復活させるため1908年に全国の僧侶代表が集まり圓宗(ウォンジョン)を立ち上げ…

〈歴史×状況×言葉 28〉中野重治(1)/「8.15」描く文学を朝鮮人の視点で見つめ直す

集英社創業85周年記念企画として、昨年より順次刊行されている「戦争×文学」シリーズ。戦争をめぐる文学作品を題材としているだけあって、アジアそして朝鮮にふれた作品も多く収録されており、いずれ本連載でも収…

〈朝鮮仏教と私たち 53〉日本仏教化の中で抵抗

近代、日本の侵略 日本の侵略により、国を亡くし自分の言葉さえも奪われた我が民族は8.15祖国解放まで亡国奴として耐えがたい苦難の歳月を過ごした。 自分の言葉さえ話せず先祖代々の姓名を名のる事も禁じられ…