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〈在日朝鮮人関係資料室〉(2) 解放直後に普及したハングル教本

朝鮮学校の教科書・教材① 当「資料室」には解放直後から90年代までに朝鮮学校で使用されていた、23教科の教科書、副読本、教師用参考書、講義要項など約800点が所蔵されている。今回は解放直後に作られ朝鮮…

〈朝鮮歴史人物〉百済の始祖・温祚(4)

百済においては建築と医学技術も発展した。 とくに注目されるのは、天文学と気象学の発展である。百済の天文学者たちは彗星、流星、惑星などにについて、現れた日付けと時間、位置と方向、大きさを逐一記録しておい…

〈朝鮮歴史人物〉百済の始祖・温祚(3)

温祚は、兄を快く迎え宮殿で一緒に暮らすようにした。 しかし、沸流は弟に合わせる顔がなかった。海に好奇心を持ち弥鄒忽に都を定めたものの、風が強く風浪は激しかったし、塩水が浸み込んで湿り、農作物がうまくで…

〈朝鮮歴史人物〉百済の始祖・温祚(2)

兄を見送った温祚は、臣下らと共に馬韓の河南、慰礼城(京畿道広州地方)に都を定め、小国を建てた。 温祚は最初の国名を「十済」と定めた。それは自分を奉ってきた10名の臣下の功績を後世に伝えようとするところ…

〈朝鮮歴史人物〉百済の始祖・温祚(1)

高句麗の東明王には3人の息子がいた。長男の嬬留は高朱蒙が東扶余にいる時、本妻である禮氏から生まれ、次男、三男である沸流と温祚は卒本扶余(句麗)で生まれた。 高朱蒙が高句麗を建て王となって19年になるあ…

〈歴史×状況×言葉 35〉宮本百合子(2)/一面的で情緒的な朝鮮人の描かれ方

宮本百合子「播州平野」は、1945年8月15日の日本敗戦直後の、「激動する日本社会のなまなましい現実の姿とその意味、崩壊する権威と、戦争が破壊した国民生活の傷跡の深さ」のなかで「新しくきざし始めた動き…

〈朝鮮歴史人物〉安市城の城主・楊萬春(5)

「これで勝てるぞ。仇敵を最後まで討ち破るのだ!」 「一人も生かして帰すな!」 楊萬春の命令に従い、彼らは総攻撃に転じた。 軍士たちは、城門を押し開き、怒れる獅子のように敵軍に向かって突進していった。 …

〈朝鮮歴史人物〉安市城の城主・楊萬春(4)

城壁に高く仮設された木柵に登り、大戦闘を余裕をもって指揮していた楊萬春の目の前に唐の太宗の姿が現れた。 「こやつめ!ちょっと懲らしめてやろう…」 楊萬春は、すかさず大弓を手に取りゆるやかに弦を引いた。…

〈朝鮮歴史人物〉安市城の城主・楊萬春(3)

高句麗軍の将帥、高正義は自分の意見をこのように述べた。 「あまり急いで攻撃するのではなく、軍を整えながら、何日も置いて奇襲兵を派遣して輸送路を断ってしまえば、敵の食糧は尽きます。そうなれば、戦おうにも…

〈朝鮮歴史人物〉安市城の城主・楊萬春(2)

揚萬春は、唐の動静について知悉していたので城をさらに強固に築いた。 彼は先を見越して、城壁を補修強化し、食糧も十分に準備した。さらには、兵士たちの武術訓練に力を入れた。 城主がこれほどまで大胆無双であ…