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〈朝鮮仏教と私たち 2〉高句麗の仏教(1)

新しい文化の華 仏教は釈迦により説かれた教えで、仏の言葉である。朝鮮の古代文化は仏教の伝来とともに新しい文化の華を咲かせた。

〈朝鮮民族の美 1〉白磁の壺

今回からは、わが国の誇る文化遺産であり、多くの人に愛好される朝鮮時代の陶磁器を、いくつかの種類に分けて紹介していくことにしよう。いわゆる「李朝」と呼ばれる陶磁器は、大きく粉青沙器と白磁に分けられるが、…

〈朝鮮仏教と私たち 1〉祖国を守る

民衆の信仰心と共に 朝鮮に初めて仏教が伝えられ公認されたのは高句麗小獣林王2(372)年のことだ。それから仏教は1700年にわたって朝鮮民族の生活文化に根差し、自然崇拝の信仰から人間本来の価値と自我に…

〈高句麗の豆知識 10〉大高句麗の勝利

高句麗の武士たち 敗戦の翌年(613年)、隋は3度目の遠征軍を編成した。 「隋書」は当時の状況を次のように伝えている。 「天下の人は労役のために死に、家は破産した。天子の親征は、3度遼東に進み、糧秣を…

〈歴史×状況×言葉 14〉湯浅克衛(下)/「8.15」を糊塗する郷愁の欺瞞

日本の敗戦後、湯浅が最初に書いた短編「旗」(1946)では、朝鮮民衆が「独立万歳」に沸くなか、主人公は「(日本が)負けたことを一度は悲しんで、それからお祝ひとは行かないかな。さう行けば理想的なんだがな…

〈高句麗の豆知識 9〉倭との良好な外交関係

金銅釈迦如来坐像(奈良県明日香村飛鳥寺) 高句麗の勝利には外交上の成果を無視できない。 高句麗は隋の不穏な動きを見て、百済とその同盟国である倭との善隣に力を注いでいる。高句麗の嬰陽王は、文帝の恫喝を受…

〈歴史×状況×言葉 13〉湯浅克衛(上)/美化される朝鮮の記憶

前回まで中島敦のことを書いたが、中島と京城中学校で同級だった湯浅克衛(1910~1982)がいる。もはや今日ではほとんど知られていないが、生涯朝鮮を書き続けた数少ない日本の作家である。中島と同じく植民…

〈高句麗の豆知識 8〉輝かしい足跡

広開土王碑(レプリカ 朝鮮大学校) 朝鮮史上もっとも強大な国家、高句麗は栄光の時代である。 その偉大な足跡を大きく分けて見ると次のようになる。 ①建国から一大強国に成長した時代 朱蒙による建国に始まっ…

〈高句麗の豆知識 7〉薩水の大勝利

高句麗の鎧馬武士(朝鮮大学校 朝鮮歴史博物館) 乙支文徳の読みはずばり的中した。 いくら攻めてもビクともしない鳳凰城、そこに届いた文徳の漢詩(「神の如き策は天文を究め、妙なる戦術は地理に通じ、戦功はす…

〈歴史×状況×言葉 12〉中島敦(下)/自己を揺るがした朝鮮体験

中島敦の「巡査の居る風景―一九二三年の一つのスケッチ―」は、日本の支配権力の下で巡査として働く主人公趙教英の民族的葛藤を、同化と差別、親日と反日が入り混じる植民地下ソウルの複雑な現実とともに描いた。弱…