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〈みんなの健康Q&A〉目の病気-飛蚊症

Q:黒いものが飛んでるように見えるのですが? A:目の前に「黒いものが飛ぶ」ことを眼科では飛蚊症といいます。蚊が飛んでいるように見えるという意味ですが、このほかに糸くず、黒いスス、水玉、輪などさまざま…

〈若きアーティストたち 17〉ピアニスト・朴令鈴さん

10月29日、東京都品川区のきゅりあん小ホールで開かれたトークと公演「アリランを訊ねて」で、在日朝鮮人作曲家で「アリラン研究家」の金学権さんが作曲した「アリラン―我が心情的変奏曲」を演奏した。在日2世…

〈朝鮮近代史の中の苦闘する女性たち〉社会主義女性運動家・許貞淑

許貞淑は、植民地時代社会主義女性運動家、独立運動家として活動し、解放後には共和国政府の要職に就き、政治家としても活躍した女性である。 彼女は咸鏡北道明川市で、弁護士の長女として生まれた。父許憲は当時社…

〈高麗人参余話 19〉商品価値高い「人の姿」

古来、人蔘は人の体に似たものほど尊重され、今日でも形のよいものほど商品価値が高いとされている。 山蔘の値段は長さ、見た目、太さ、年数などで違うが韓国漢方薬店の話では30年から50年もので300万ウォン…

〈高麗人参余話 18〉山に山蔘の種をまく

高麗末期忠烈王3年(1227年)から元の度重なる要請で人蔘は乱獲され人蔘の自生地はだんだん少なくなってきた。朝鮮王朝に入り国は山蔘の産地に採取を禁じる封標を建てたが、効果はなかった。

〈高麗人参余話 17〉シンマニの大活躍

日本における人蔘栽培は外来種である人蔘を日本に移し植えて農業化する過程であったがそれは人蔘の生態を知りえないまま、まったくの手探りで行われたものであった。 本家である朝鮮では5000年前から山で山蔘が…

〈高麗人参余話 16〉8代将軍吉宗の奨励策

戦国時代の武将達は戦いに明け暮れながらも健康維持には格別の注意を払っていた。家康は人蔘を常に携帯し常用していたし、戦国時代、秀吉を天下人にして疎まれると引退してしまった黒田官兵衛は茶の湯と朝鮮人蔘の栽…

〈高麗人参余話 15〉江戸市中あげてのブーム

家康の政策を背景として慶長14年(1609)、対馬領主宗はいち早く正式に幕府の許可を得て、朝鮮との貿易条約を結んだ。その条約は乙酉条約と呼ばれている。対馬藩では藩に朝鮮係を置き、釜山に対馬屋敷を設けて…