ビルマ慰安所の過酷な実態に焦点/wamで特別展
2016年10月27日 09:39 朝鮮半島 歴史文玉珠さんの足跡と共に
東京・新宿区のアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)では現在、「地獄の戦場・ビルマの日本軍慰安所~文玉珠さんの足跡をたどって~」と題した特別展が7月から行われている。朝鮮半島から連行され、ビルマ(現ミャンマー)の戦場を生き延びた文玉珠さんの足跡からは、「慰安婦」女性たちが強いられた過酷な実態が浮かび上がってくる。
慰安所管理人の日記など展示
1942年1月にビルマを侵略した日本軍は瞬く間に全土を掌握するが、連合軍の反撃にあって大敗、敗退を続ける。多くの兵士が飢餓と傷病に苦しんで命を落とし、ビルマ戦線は「地獄の戦場」と呼ばれた。
一方で日本軍はわずか3年半の占領期間に、60以上の地域に慰安所を設置した。朝鮮、中国、台湾、日本、ビルマの女性たちが「慰安婦」にされ、凄まじい性暴力を加えられた。そればかりか空襲にも遭い、部隊とともに逃げまどい、戦闘に巻き込まれた。
文玉珠さん(1924年4月23日-1996年10月26日)はこのような「地獄の戦場」を部隊と共に移動し、奇跡的に生き延びた朝鮮人「慰安婦」の一人だった。特別展には、文さんの証言や足跡とともに、日本軍のビルマ侵略の実態、現地の慰安所マップ、被害証言、元兵士の手記、公文書などが展示されている。
「…15歳頃に奉公していた家の女主人から『日本で金を稼げるところがある』と騙され、42年に汽車で釜山へ、船で台湾、シンガポールを経てラングーンに連れて行かれた」
「チョゴリから簡単服に着替えさせられ、朝鮮語は禁じられ、部屋には『絹枝』という名札がかけられた。到着した日、連隊長の副官がやってきて、有無をいわさず服を剥ぎ取り、強かんされた」
朝鮮女性たちの被害証言の数々は、「慰安婦」制度の実態を物語っている。