2016夏・東アジアワークショップ「記憶を刻む平和の旅」/東アジアの若者集う
2016年09月06日 09:59 歴史“国家・民族を超え、共に記憶する歴史”
北海道で行われた「記憶を刻む平和の旅~朱鞠内、浅茅野、美唄、札幌~」(8月20日~22日)に同行取材した。
戦時中、北海道内には約14万5000人の朝鮮人が強制連行されたとされている。
1980年から「空知民衆史講座」の市民活動家たちによる発掘作業が始まり、97年からは「日韓共同ワークショップ」(2001年からは「東アジアワークショップ」)が開かれ日本・南朝鮮・在日の若者たちが共同で北海道各地の強制労働犠牲者たちの遺骨発掘作業を行ってきた。そして、解放70年を迎えた昨年、3500kmの路程を経て、115柱の遺骨が南朝鮮へ奉還された。
10回目となる今年のワークショップでは犠牲者たちの記憶を残そうと朱鞠内、美唄、札幌の3箇所に犠牲者の名前や出身地、死亡年月日が記された銘板「平和の踏み石」を設置。日本・南朝鮮・台湾・在日の若者や宗教人、市民ら約40人が参加した。
市民による記憶作業
朱鞠内(雨竜)ダム建設によりできた日本最大の人口湖である朱鞠内湖。1935年から37年まで行われた名雨線鉄道工事、38年に王子製紙が着工し、43年に完工した「雨竜電力株式会社雨竜ダム」の建設には日本人タコ部屋労働者とともに多くの朝鮮人が従事させられた。真冬には零下40度を下回る劣悪な作業環境の下での犠牲者数は、現在判明しているだけで200人を超す。
21日、ワークショップ参加者らは犠牲者が弔われた真宗大谷派光顕寺(現在の「旧光顕寺・笹の墓標展示館」)前に2つの銘板を設置した。そこには朝鮮人犠牲者の名前とともに、多くの日本人タコ部屋労働犠牲者の名前も記された。
同委員会の鄭炳浩共同代表(漢陽大学校文化人類学科教授)は「強制連行・労働の問題は日本帝国主義の朝鮮半島の植民地支配の歴史と切り離しては考えられない。戦時中、国家や資本が利益を追求するシステムの下で、他民族のみならず日本の民衆たちも多く犠牲となった」と指摘し、だからこそ「国家や民族の枠を超え、共に犠牲者を記憶し、哀悼することが大事ではないだろうか」と参加者に呼びかけた。