〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 8〉今も愛される女性詩人/李梅窓
2009年09月04日 00:00 文化・歴史悲恋を詩に昇華させて
村人が詩碑建立
李梅窓は許蘭雪軒、黄真伊と並ぶ朝鮮王朝時代の女性詩人である。彼女が没した1610年から45年後、全羅北道扶安にある彼女の墓の前に詩碑が建てられた。友でも肉親でもない村の人々が、彼女の詩に魅了され建てたものだという。また、彼女の死の58年後には、開巌寺から詩集が出版された。「梅窓集」の跋文には次のような一節がある。
「癸生の字は天香であり、自らを梅窓と号した。吏李陽従の娘であり、1573年に生まれ1610年に没した。38歳であった。生涯詩をよくし、創作した詩数百首が人々の口に上った。だがすべて散逸し、1668年、官吏たちが伝えていたものを集め、58首を出版する」
詩集は人気が高く、寺を訪れる人々がこぞって一冊持っていくので、寺の破産を防ぐため木版を焼いてしまったという逸話が伝わる。現在「梅窓集」はハーバード大学と澗松美術館に所蔵されている。当時妓生であった彼女の墓に村人が詩碑を建て、詩集が出版されたということは、朝鮮王朝時代においては破格のことであった。また自ら号し、名と字をも持つ女性は稀有であった。本名は香今といった。