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〈人物で見る朝鮮科学史 36〉高麗の科学文化(9)

2007年07月20日 00:00 歴史

高麗の高い建築施工技術

妙香山・普賢寺万歳楼の欄干構造と軒

妙香山・普賢寺万歳楼の欄干構造と軒

現在、朝鮮半島には8つの世界文化遺産があるが、次の候補に挙がっているのが高麗の古都・開城である。朝鮮戦争時の爆撃を免れた開城には当時の面影を今に伝える数多くの遺跡があるが、その中心的存在が高麗の王宮址である満月台である。ただし満月台というのは通称で「望月台」に由来するといわれるが、高麗の遺臣である元天錫が「興亡は有数といえり、満月台に秋草が茂る」という詩調を残し、朝鮮時代の文人たちが紀行文に満月台と記したことから、この名がポピュラーになった。ちなみに、1920年代の哀愁漂う流行歌「荒城の址」も満月台のことである。

高麗の太祖・王建は、僧・道詵の進言を受け入れ開城に都を開くが、その王宮も風水思想に基いて、松嶽山を背景に自然地理的条件に合わせて建設された。ゆえに、王宮内の建物はそれ以前の南北を中心軸とした直線的な配置とは異なる高麗独自のものとなっている。また、高麗では政治は儒教理念にもとづいて行い、宗教は仏教というように分けていたが、この満月台はその両方の儀式を行えるようになっていた。残念ながら宮殿は1361年に焼失したが、満月台のこのような特徴は朝鮮王朝時代のソウル昌徳宮にも受け継がれている。

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