〈人物で見る朝鮮科学史 30〉高麗の科学文化(3)
2007年06月01日 00:00 歴史人類文化史上の貴重品となる活字
高麗の科学技術を語るうえで欠かせないのは金属活字の発明であるが、これは高麗に留まらず朝鮮科学史のもっとも重要な業績の一つである。活字それ自体は中国で発明され、木活字、陶活字が用いられたが、前者は耐久性に欠け、後者は全く同じ自体の活字を多数造ることは容易ではない。まさに、その欠点を克服したのが高麗の金属活字である。
高麗で、いつ金属活字が造られたのかは定かではないが、李奎報「東国李相国集」には1234年に金属活字本「古今詳定禮文」を配布したという記述があり、それ以前から金属活字は使用されていた。現存する世界最古の金属活字本は1377年に清州興徳寺で鋳造された活字を用いたと明記された「白雲和尚抄録仏祖直指心体要節」である。現在、フランス国立図書館が所蔵しているが、1887年から12年間ソウルのフランス大使館に勤務していた人物が持ち帰ったものである。1972年の「世界図書の年」の記念展覧会に出品され世界最古の金属活字本として話題となり、2001年にユネスコの「世界の記録」(通称、世界記録遺産)に登録された。現在、この記録遺産には「朝鮮王朝実録」「訓民正音」(解例本)、「承政院日記」の計4件が登録されている。ちなみに中国は3件、日本の登録はない。