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〈人物で見る朝鮮科学史 25〉海東盛国・渤海(上)

2007年03月02日 00:00 歴史

牙をむきだした力強い石獅子

第1宮殿址基檀石獅子彫刻

第1宮殿址基檀石獅子彫刻

高句麗は長い間の外来侵略者との戦いで疲弊し、ついには唐と新羅の連合軍によって滅びたが、その領土を回復すべく698年大祚栄によって建国されたのが渤海である。しばしば、新羅が高句麗と百済を滅ぼしたあと、唐の干渉を退けたといわれるが、新羅の貴族たちにはその気がなく、先頭に立ったのは両国の遺民たちである。その後、渤海は大同江以北から黒龍江に至るまで版図を広げ、一時は「海東盛国」と称されるほどに栄えたが、926年わずか230年ほどでその幕を閉じる。一説には、10世紀初の白頭山の大噴火によって大打撃を受けたためともいわれている。渤海に関する文献資料は少なく、その詳細は明らかではないが、現在、発掘調査が盛んに行われている。ここではそれらの遺物を通じて、渤海の科学文化の一端を垣間見ることにしたい。

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