〈人物で見る朝鮮科学史 21〉新羅の科学文化(3)
2006年12月09日 00:00 歴史1995年に慶州吐含山の石窟庵とともに、ユネスコの世界遺産に登録されたのがその麓にある仏国寺である。仏国寺もまた新羅石造建築の粋を集めたものといえるが、とくに大雄殿につながる白雲橋と星雲橋、前庭にある釈迦塔、多宝塔はよく知られている。度重なる戦火によって仏国寺は何度も焼失したが、これら石造建物は当時のまま今日まで残されたのである。釈迦塔は高さ8.5メートルの直線的な構造で男性的に、多宝塔は高さ10メートルで精巧かつ豊麗で女性的に表現されており、それを左右に対比させることで芸術的効果を際立たせている。また、数学的にも白銀比と1、2、4、8の等比数列が適用されている。
さて、その美しさを誇る釈迦塔であるが、1966年10月のある「事件」によって大きな話題となったことがある。釈迦塔のなかには、普通、仏舎利とともに宝物が納められているが、盗賊がそれを狙って釈迦塔の中をあけようとした。幸い、屋蓋石は重くて未遂に終わったが、はたして未遂だったのかを確認するとともに、それを元通りに戻すために屋蓋石を持ち上げようとしたところ、その支柱が折れ屋蓋石が破損してしまったのである。本来ならば大変な社会問題となるところだが、ある大発見がそれを吹き飛ばした。