〈高麗人参余話 13〉天下支配の財宝に
2003年09月19日 00:00 文化・歴史朝鮮使節の来日は15~16世紀の室町政権下でも行われ、朝日関係はそれまで概ね平和な通商外交関係が保たれて来た。しかし、豊臣秀吉は1587年九州を平定し、ついで大陸に侵略の矛先を向けた。豊臣秀吉(1536~98年)は92年朝鮮を侵略したが李舜臣将軍率いる朝鮮の水軍の活躍や民衆の抵抗にあい、戦局は不利となり講和を図ったが不調、97年再度派兵した。前後7年間2度にわたる朝鮮侵略「文禄・慶長の役」である。結局この戦は反侵略に立ち上がった朝鮮人民の挙族的闘争と秀吉の死によって終止符を打つが、ウリナラ全土は荒廃の極みに達し、前時代まで築いてきた両国の良好な友好関係はたちまちにして瓦解した。