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〈人物で見る日本の朝鮮観〉樽井藤吉

2004年03月31日 00:00 文化・歴史

大和(やまと)の人、樽井藤吉(たるいとうきち)(1850~1922)は日本近代史上、特異な存在である。その特異たるゆえんは、日本で最初に社会主義を名乗る「東洋社会党」を明治15(1881)年5月という早い時期に、肥前島原で結成したという先駆性にあり、今一つは明治26(1893)年に日本と朝鮮の対等合邦を説いた『大東合邦論』を著述刊行した点にある。

樽井は嘉永3年、大和(奈良県)五条で材木商の樽井要助の次男として生れた。彼の学問修業については、五条出身の大儒森田節斎に教わったという説もあるが確かではない。しかし、山路愛山は後年、樽井は「一種の天才的な素質を持っておった」と証言しており、吉野作造も聞き書きとして、「別に正式の教育を受けぬが、不思議に独創の見に富んだ天才肌の人」という言を伝えている。

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