〈若きアーティストたち 110〉役者/しるささん
2015年07月13日 13:40 文化・歴史経験と出会いを糧に/目標は“演技で恩返し”
幼いころは役者になること、スクリーンの中に自分がいることは皆が抱くような憧れだったと振り返る。役者しるささん。
中級部時代から養成所のオーディションを受け始め、東京朝高に入り本格的に始動。そんな彼女が役者としての人生を歩もうと決めたきっかけは、思いもしない中級部時代の口演大会だった。「結果を出せず悔しい思いをした」。演劇部がない朝高に行くのを迷ったが、「絶対金賞をとってやる」と意気込み朝高に進学。幼心期に芽生えた夢は着々と大きくなっていた。「芝居をすることしか頭になかった」朝高時代、高2では朗読部門で金賞をとり、高3では演劇部門で当時あまりなかった一人芝居を「最後だからやらしてほしい」と先生に頼み込んだという。
口演大会での一人芝居がきっかけで劇団アランサムセに出演をしないかと話が舞い込んできた。そして高校卒業後、更なる転機が訪れる。同劇団の南朝鮮公演「夢の国を探して」への出演だ。南朝鮮で芝居をしたとき、普段と気持ちの入り方が違っている自分に気づいたと当時を振り返る。
「劇中、オンニ役の人が『生まれは日本、国籍は朝鮮、故郷は『韓国』』と話したとき、自分にはどこにふるさとがあるんだろうと思った。けれど観客の反応をみて、生まれが違うのに、言葉が通じるんだ。同じ民族なんだと感極まり泣いてしまった」と感慨深く話した。
その一方、養成所の特別レッスンで脚本家羽原大介氏と出会ったことがきっかけで、同氏の劇団へ所属することになった。そしてさらなる転機ともいえるのが、昨年放送された朝の連続テレビ小説への出演だった。今でも当時の胸の高まりは忘れられないとしるささんは話す。
「リハーサルでは、緊張とわくわくが入り混じる。楽しみは、自分よりも経験値のあるベテランとともに芝居をできること」。緊張で役のイメージと動きが合わなかったり、カメラワークにてこずったと言いながらも、活気に満ち溢れる彼女の姿からは辛さは微塵も感じられない。
また役者人生で記憶に残る時期はあるかという問いに、「初めてヒロインをやったのは、在日朝鮮人2世の役。『祖国へ』という作品だった。その時はじめて自分の殻がむけたような気がした」と答えた。人も作品も出会いがすべてと語るしるささん。出会いを楽しそうに振り返る彼女の姿は印象的だ。
「自分に合うことはすぐ見つかる人もいれば、探しに探して見つかる人も居る。だから一回だめでも諦めない。すべては出会い、良い出会いをするために何回もチャレンジすることが重要だと思う」
また役者しるさの強みはなにかと聞くと、これまたなるほどと思うような答えが返ってきた。
「育ちやその人が生きてきた過程は知らぬ間に演技に表れる。在日朝鮮人というだけで、しょっているものがあると思う。まずは在日朝鮮人として生まれてきたこと。普通に日本社会で生まれた日本人とは違う。そして環境。朝鮮学校に行くと少なからず差別を経験しているし、見たり聞いたりもしている。この経験は、自分では気づかぬうちに多くのことを背負っているんだと思う。だから同じ演技をしても表現できる幅や、芝居の深み・重みが違うと思う」と、きっぱり。
在日朝鮮人の役者だからという弱みや隠さなきゃという気持ちはまったくないと話す彼女の目標は「演技で恩返し」だ。「やりたいことを出来て本当によかったと本当に思う。這い上がらなきゃ」と熱意にあふれる。すべての出会いを糧に、役者しるさの人生はまだ始まったばかりだ。
(韓賢珠)
【プロフィール】
1982年生まれ。東京第一初中、東京第四初中、東京朝高卒業。現在は劇団「昭和芸能舎」に所属。フジテレビ「ビューティフルレイン」(2012)、NHKBSプレミアム「かすてぃら」(2013)、NHK大分ドラマ「そんじょそこら商店街」(2014)、NHK連続テレビ小説「マッサン」(2014)などそのほかにも舞台など多数出演。次回作は7月29日から池袋シアターグリーンで鄭光誠作・演出の舞台「地図から消された島」に出演する。